夏草
する、音
しないわたしは
縁に腰かけて
何もない河川のように
留まるのだ、と思った
翌日のこと
長年飼っていた電柱が
遠くに行ったまま
帰ってこない
と相談された
残さず食べなさい
昔に言われた気がするけれど
何を食べてきたのか
記録もつけ忘れたまま
そのようにして
生きることすべて
夏草の続き
する、音
しないわたしは
縁に腰かけて
何もない河川のように
留まるのだ、と思った
翌日のこと
長年飼っていた電柱が
遠くに行ったまま
帰ってこない
と相談された
残さず食べなさい
昔に言われた気がするけれど
何を食べてきたのか
記録もつけ忘れたまま
そのようにして
生きることすべて
夏草の続き
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コメント
電柱収集家・電柱愛好家・電柱飼い主の僕にとっては嬉しいかぎりですねーこれを加味せずともこれは琴線にふれまくりな詩ですねーひと単語一行ていねいに扱われていていいですよねーなんてゆーかなー変に奇を狙ってない自然とこうなりましたよー感がしてねー現代詩ってなんなんだろねーなんて!
例えば「長年飼っていた犬が遠くに行ったまま帰ってこないと相談された」という文章でももちろん成立する詩なんでしょうが、犬ではなく電柱にした途端に見えていた景色がガラリと変わる、常識がひっくり返る、そういうテクニックが上手いね旦那!
@三明十種
電柱ラブの三明十種さんからのコメント、ありがたくいただきました。先日は階段の詩を書きましたが、どうなんでしょうね、人間が何かの機能を持たせるために作った構造物がすきなのかな、なんて。しかもマルチなものではなく、かなり限定的な機能。
@たかぼ
たかぼさん、コメントありがとうございます。旦那的には、なるべくいつもフラットでいたくて、物事をひっくり返したり、入れ替えたりは、この訳のわからない世界でバランスを保ってフラットでいるための作業なのかな、と最近思っています。