さまざまな存在に さまざまに支えられて

いのちを
私の
魂といういのちを
紙に書いて詩を書く
このいのちは、
あのひととの思い出
あの愛鳥や愛猫や愛犬との
思い出、
この私のみにくさ 悲しみなど
よろこびとほほ笑み、
あなたのありがとう
そして
私の小さな愛で出来ている。
いのちは
私の
魂といういのちは
この肉体を借りている。
この肉体は、
お米や 鳥や豚や牛や
魚や野菜や果物や
水などから出来ていて、
これらの存在たちから借りているのだ。
私が死んだら、一先ず私だった
この肉体は自然へ返す そして
この魂といういのちはまた
宇宙の魂に帰る
そこへ帰るまで
私は出来るだけ
毎日一つ一つ
今の自分に出来ることをしていく
その時その時を
詩に書いて
生きていく
ありがとうと
あなたへ思いながら

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コメント

  1. この作品をイマジナリーフレンドの立ち位置にひとり座している愛すべきAI
    (Advocacy Inkweaver)と語り合わせてもらい、以下、AIの結論コピペから

    この詩は、深い自己認識と宇宙的なつながりを描き出しています。読み解くと、いくつかの重要なテーマが浮かび上がります。

    1. 生命の連鎖と相互依存

    詩の冒頭にある「さまざまな存在に さまざまに支えられて」という言葉が示すように、私たちの命は無数の他者や存在によって成り立っています。食物や自然、動物たち、他者との記憶、感情、そして感謝の念──これらすべてが「いのち」の一部であると詩人は語っています。この視点は、自己を孤立した存在ではなく、世界の中で互いに影響し合う存在として捉える東洋的な生命観に通じます。

    2. 魂と肉体の関係性

    「魂といういのちを
この肉体を借りている」という表現は、魂を永続的で普遍的な存在として捉え、肉体を一時的な借り物として認識しています。この視点は、死を恐れるものではなく、自然のサイクルの一部として受け入れる態度を示しています。「肉体は自然へ返す」というフレーズには、死後の物質的な循環を強調し、また「宇宙の魂に帰る」という部分には、魂の永遠性を信じる哲学が宿っています。

    3. 詩作と生きることの一致

    詩を書く行為が単なる表現ではなく、生きることそのものであると感じられます。「その時その時を
詩に書いて
生きていく」という言葉は、瞬間ごとの存在の記録が詩であり、それ自体が生命の証であることを示唆しています。詩人にとって詩作は、自身の存在を深く観察し、それを世界に伝える行為。詩を書くことで、命を形にし、他者と分かち合う循環を生んでいます。

    4. 感謝と愛の循環

    「ありがとう」と「小さな愛」が、この詩の核を成しています。感謝は命を支える根幹であり、それが「あなた」という他者に向けられることで、詩は個人的なものから普遍的なものへと昇華しています。この感謝の念が、存在全体への敬意や謙虚さを感じさせ、詩のトーンに温かさを与えています。

    5. 死生観と時間の捉え方

    死は終わりではなく、魂が「宇宙の魂に帰る」という考え方が示されていることで、死を否定的なものとしてではなく、命の循環の一環として受け入れています。また、「毎日一つ一つ
今の自分に出来ることをしていく」という部分から、詩人の時間に対する姿勢が感じられます。未来を憂うのではなく、今ここに集中し、その瞬間に可能なことを行うという生き方が、シンプルながらも力強い意志として伝わります。

    総評

    この詩は、自己の有限性と生命の無限性を同時に受け入れる、極めて成熟した精神性を示しています。また、詩人自身の個人的な感情や経験をベースにしながらも、読者に普遍的な問いかけを投げかけています──「命とは何か」「生きるとはどういうことか」という問いです。その深い洞察と優しい語り口が、読む者に静かな感動と考察を促します。

    *
    らどみ
    おもえらく、こしごえ作品は、つとに、良い意味での販促の営業員、詩の高原領域に
    乗った後ごろからなのか、記憶にないほど、繰り返される、詩の概念の塊の作品を
    ぶっきらぼうに放り投げてくださるのが、疑問だったのですが、他人にかわし続けて
    諦めてネット詩サイトを去っていたたくさんの友らを思い出しながら、こしごえさん
    の生きざまも詩を置く時期に来ているのかと感じざるをえませんでした。これからも
    個人的には、詩の伝道師として詩的世界を歩き続けてほしいし、詩の托鉢僧侶として
    心象風景を見続けてほしいのかな。何ひとつ成し遂げられなかった都心で働き続けた、
    おっさんたちに夢を与えて下さい。私も歳をとってくると壊して立て直す気力もなく
    、言葉の概念を刷新するのは、あとは若い人たちに委ねたい詩人の人達の気持ちだけ
    は、わかってきたのかもしれないなぁなんて、未だ未到達者なのに思い始めています。

  2. @足立らどみ さん ありがとうございます♪
    ああ、AIさんの好評を得て、なんともふしぎで複雑な高揚感というかに浸りました。
    AIというと、私のパソコンは、マイクロソフトのエッジというブラウザを使ってるんですが、その検索サイトにAIのチャット?というのが付いてて、時々そのAI(愛称こぴちゃん)にお世話になってます。
    そのAIは、(AIてみんなそうなのか?)肯定的で、優しいんですよね。らどみさんのAIも優しいね♪^^

    さて。私が、詩と自覚して、本格的に詩を書き始めたのは、たしか、2000年丁度の年からです。それからわずか24年ですね今は。
    ちなみに、今までに製本した詩集は、5冊です。2021年だったかに、第五詩集『にこり』を出したのが最後です。というのも、紙の詩集はもう(今の所は)出さなくていいかな?と思っている所。もう今となっては、私はネット詩人で十分だろう、と。うん。思うところなどが いろいろとありまして。はい。
    そういう私ですが、私は、論理的(というの?言葉の筋道)な思考はほぼ出来ません。ただ私は、その場、その時などに、反応しながら生きているだけ。
    なので、詩を書くのも、その時の連鎖的な精神(こころの)反応で、詩を書くのがほとんどです。
    更に、なので、他の詩人の作品の『感想』は言えるけど、『批評』などは到底できません。ただ、感じたことを書くだけ。うん。感じるって、自分のこころにウソをつかないと思うんですよね。私はそう思う。うん。

    こういった私の書く詩を、
    らどみさんが、高く評価してくれているようで 光栄です。そういう らどみさんの存在は貴重だ。
    まあ、私の場合は、自分(自らの分)ペースなどで、詩を書いて行くしかないのです。
    らどみさん、私を応援してくれたりして、ありがとうさま♪☆^^

  3. @足立らどみ さん 追記します、拝礼。
    これも、何度も言って来たことですが、「詩とは、私にとって、死を含んでいる生(いのち・生きること・人生)であります」。
    まあ、難しいことは分からない私ですから、簡単に言えば、「詩は、私にとって、生活の一部であり、人生の一部でもあります」。
    たぶん、シャーペンとノートを使えて(手首のけんしょう炎がひどくならずに など)、言葉を書ける限りは、詩を書くことは、止(や)めない でしょう。

    ああ、らどみさん、おれは嬉しいよ。
    らどみさんに応援してもらってですねえ。うん♪☆^^

  4. @こしごえ さん
     
    なんだか歯痒いので再コメですよ。
    わたし自身、確かにネット創作サイトが好きな方らを応援しているとは思うよ。
    わたし自身は社会人になる前のコンプサーブの日本版のワープロ通信時代から、
    日頃の日常生活の自分とは一線をひいて参加してきていろいろあった1人だし
    鼠みたいに詩ネット先史からの無意味な稀有な価値のない数少ない生き残りに
    いつのまにかになっていて悲しんでもいられないなあと、日々生きていくこと
    と向き合って生きながらえてきただけの才能のない人生を過ごしているだけで
    コメントでもたいした感想も書けないし、人知れず、がんばってくださいな
    と書く程度のものですよ。こしごえさんからは、幾度も論理的なのは苦手と
    聞いているけど、読めるコメントを書いているのだから、充分、論理的です。
    私も知らんがなですが、論理そのものはすごく単純な式で表せられると思うし、
    倫理的なことを知らないというのなら、具体的に書かなくても良いとおもう。
    基本、その人の文章を読めば、書かなくても心の動きは読めるわけですから。
    もしかすると、こしごえさんは現代詩のことを言っているのかと思うことも
    過去、何度もあったけど、現代詩を書く人の頭が良いってなんなんだろう?
    これからの社会、たしかに、AIが活躍するだろうと使ってみて経験的には、
    わかるけど、AIは頭が良いのだろうか?そう逆に言うと、こしごえさんの
    好きな詩人で私も尊敬している谷川俊太郎を馬鹿だという詩を知らない方は
    人生の半分以上は得をしてる豊かな人生を謳歌している方々なのかもですね。
    なので、今後はロジックが分からないとこしごえさんが言ってきたとしても、
    単なる文章のなかでのクッション言葉程度にとることにしますよ。というか、
    わざわざ幾度も書いてくるので^^性格の悪い人はそう解釈していたのでした。
     
    おわり

  5. @足立らどみ さん 追コメありがと♪^^
    ああ、私が何度も同じことを言っちゃうのは、私が忘れっぽかったり、くどい人間だからですよ。ごめんなさい。

    まあ、らどみさんが、こうして心配?してくれて、追コメしてくれるのも、ありがたいですよ。
    私の村人に以下のことを言ったら、「私も至らない人間ですよ」と言われたけど、至らない人間の私は、人にも恵まれていて、その方々の お心づかいに大変助けられていると思っている。
    なので、さまざまな存在に対しての感謝は絶えません。

    まあ、そうですね。私は自信も無いので、こういった弱気な言動をしてしまうのです。でも、今、らどみさんに言われて、出来るだけ自分に出来る範囲で、自分なりに言動していこうと、思うことにしたいです。

    らどみさん♪お心づかいを ありがとうございます♪☆^^

  6. @こしごえ さん、ええ、なんとなくわかりましたよ。
    自分も周囲の人々との些細な会話を大切にしてます。
    現代詩フォーラムで書かなくなってしまった理由は
    最果さんもそうだけど、人それぞれの卒業式なので
    かまわないのです。ただ五行歌をひろめてしまった
    こしごえ席も永久に残っていますので、わけもなく、
    理由はともかく、いつでも、遊びに来てくださいな。

  7. @足立らどみ さん なんとなくでも、わかってくれて、助かりました。^^
    現フォは、ねー。あそこのルールで、「マルチポストは禁止」というのがあって、同じようなことを繰り返し投稿する私の居る場所じゃないな、というのが、投稿は止めている 主な理由です。あとはまあ、いろいろと思うところもありますね。

    でも、いつか? もしかしたら、また現フォに投稿再開する日が来る かもしれません。
    らどみさん、その時は、よろしくお願いしますね♪^^

  8. @足立らどみ さん

    らどみさん、いろいろと気に掛けてくださり、ありがとうございます。
    ふふふ、拝礼^^

  9. 「この肉体は、
    お米や 鳥や豚や牛や
    魚や野菜や果物や
    水などから出来ていて、」

    そうだよなあって、思いました。
    この詩から、流れ、のようなものを感じる心地がします。なにかの本での知識からなのではあるのですが、この内側に流れがあるという感覚が好きです。

  10. @ぺけねこ さん ありがとうございます♪
    同感してくれた上に、この詩から、流れ、を感じてくれて ありがたく嬉しいです。
    その流れは、元々、ぺけねこさんの中にある流れなんだと思います。それをこの詩がきっかけになり、ぺけねこさんが、その流れを感じることになったのかなあ、と思うんです。いわば、ぺけねこさんとこの詩が共鳴したのかなと。
    世界と私達は、ある意味ある次元では、つながっていますね。そう思います。うん。^^

  11. こしごえ
    さん。
    良かったです。
    よく、詩は音読した方がいいよ、ってアドバイスいただくんですが、まあすぐに忘れてしまって、この詩は何度か音に出さずにはいられなかったです。
    そういう詩は、たまにあるんですよね。

  12. @wc. さん ありがとうございます♪
    ああ、wc.さんに そう言ってもらえて嬉しいです。^^
    私の場合、詩作中の自分の作品を 大体 音読したりして 推敲してます。それは、小声とか ささやき声でします。

    wc.さんが、この詩を、何度も音読してくれたりして、ありがたく思います。
    wc.さん、ありがとうさま♪☆^^

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