石

ろくすっぽ出来事を追わず
そのときたまたま目にしただけの言葉を見て相手に石を投げる
ところが自分の投げた石を拾った誰かが
石と情報を持って訪ねてくると失礼だという
その情報は知ってます 迷惑です やりかたがあるでしょう?
誰かの持つ石は投げた人のものであり
返しながら「それは違うだろう」というと
誰かは石を投げた相手に気持ち悪がられる
やじ馬たちはそれが大騒ぎにならないかと期待する
以前同じことを経験した者は見てみぬふりをする
すこしでも火花が散って自分に飛火するとものすごく迷惑そうな顔をする

誰かは考える
他人の火事以外には興味がないのだな

石を投げない人たちは
私は石を投げていないと見て見ぬふりをする
自分はすこしも関与していない出来事なのだから
石は投げていないのだから
私は悪くない

誰かは考える
ならそもそも興味がなかったということかい?

自分の関与していない出来事には石を投げず目を向けず動かず
なにもしない
悪くない私は悪くない
悪いのは私以外であり
だから世の中が怖い他人が怖い
助けない人たちが悪い

誰かは考える
自分はなにもしないのに他人が変わることを求めているのか

やがて誰かはあなたを見放すだろう
なにもしないし変わらないことをよしとしているのだから
それはそれで別にかまわない
だから世の中は変わらないし他人は変わらない

河原を走れば草木が日々変わっていくことを知る
人の手で刈り取られても
すぐに草は生え
伸び 蕾をつけ 花開き 種つくり 枯れる
だから河原は変わるし日々も変わっていく
誰かはそこによろこびを見る
joyjoy
縁をつけて
走り続ける


写真はPixabay:Sara

投稿者

大阪府

コメント

  1. 誰かの言葉尻をとって、石を投げつける人は
    自分には石は投げつけられない
    投げつけられたとしても
    何故投げつけられたか
    理解することが出来ないんですね
    自分にはまるきり非がないと思いこんでいるから

    そういう人は厄介です
    話が通じませんから

    相手ばかり責めて
    自分は変わろうとしない

    この詩を読んで自分も
    人には石を投げつけるくせに
    自分は投げつけられるわけがない
    相手ばかり責める

    そういう人間になっていないか
    常に問いかけていきたい
    そう思いました

  2. @雨音陽炎
    コメントありがとう!
    言葉でやりとりできるうちは、じゃんじゃんやり取りしたらいいと思います。
    実際に石を投げられて傷つくことと言葉で精神に傷がつくことは同じではない。
    程度や深さ、浅さではなく、まず事象として違いがあるのを理解すること。
    そもそも相手を責める必要があるのか? を考えるのも大事ですね。
    でも責められたら返す、言葉を。

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