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思春期を過ぎても
他人の視線が怖かった
私は
自分を閉じたまま
気障な飾り窓のこちらから
世界を垣間見るしかなかった
いくら歳を重ねても
厄介な病が治らなかった
私は
飾り窓のような顔で
すべての視線を遮りながら
世界から消え去っていくのだろう
「見る」と「見られる」
もしも
折り合いがつけられたら
おそらく
詩など書いていなかったろうに
思春期を過ぎても
他人の視線が怖かった
私は
自分を閉じたまま
気障な飾り窓のこちらから
世界を垣間見るしかなかった
いくら歳を重ねても
厄介な病が治らなかった
私は
飾り窓のような顔で
すべての視線を遮りながら
世界から消え去っていくのだろう
「見る」と「見られる」
もしも
折り合いがつけられたら
おそらく
詩など書いていなかったろうに
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コメント
飾り窓の手前と奥の朝と夜、光と影が入れ替わる場所でもあるなと感じました。
「私は」の使い方が良いです。
この詩を拝読して、これは他人事ではないような感じを受けました。リアルというか。
今回も、すてきな写真。光と影のとらえ方がすてきです。
@たちばなまこと さん
>コメントありがとうございます
確かに窓はある種の結界のような役目をしているのかもしれませんね。
人の内と外を暗示しているようにも見えます。
言葉の切り方や置き方が変なのは、今はじまったことではありません(笑)
@こしごえ さん
>コメントありがとうございます
この感覚が分かる人はあまりいないと思っていたので
リアルと言われて驚きました。
それなりのご苦労をなされたのですね。
写真は「横浜市開港記念会館」で撮りました。素敵なところです。