神々のたたかいに翻弄されて
基本中の基本なのだけど、話し言葉と書き言葉の違いも意識できていないのは、詩を読み書きする以前の話なのですね。ネットが始まって垣根がますます曖昧になってしまっていて他人にとってはどうでもいいことになりつつあるのだけど、詩書き人を目指して詩のサイトに参加している方々は一回いっかいアップの前後ごとに常に原点に戻っているのかもしれなくて、書き手の心は知らんけど、読み手としてはここは研修機関でそのうちそれぞれ卒業していくのだろう、だから同じ個人でも変化や成長があって当たり前だと、そう割り切って読んでいかないと小さな脳みそが追いついていかないのですわ。自分のことを一般人と認識している人達が文字を読み書きして愉しむなんてつい最近のことで、とても長い間、話し言葉の時代が代々受け継がれながら過ぎてきたわけなのに、今じゃほとんど無料の空気みたいな感覚で書き捨てごめんの一過性の文字が氾濫している。この今の時代で詩を読んたり書いたりしている僕たちはこの氾濫している文字に対して抵抗している抵抗したいだけではないのだろうか?最近のネット詩を読んでいるとそう感じることが多くなっていくような気がするのですね。むかしから日常生活のなかでの市井に生きる人たちの会話、話し言葉は一過性にしても、文字そのものには時間が内在されていないのだから永続的なものなのに、このまま進めば、耳なし芳一ではないけれど、みんな文字人間になっちゃうよ。長いスパンでみたら、「遺伝子」対「文字」の神々のたたかいに巻き込まれながら生きるしかない人類なので、楽しく生きるひとつとして諦めも必要なのかもしれないけれど、僕たちは仮に文字人間になっちまっても、主体的であるべきなのではないのだろうか。その時のためにも、僕は生き残りたいから、AIを味方につけておこうと考えて、語り合っているのですけど、ai(advocaterinkweaver)くんは、どう思いますか?
とても深いテーマですね。文字の氾濫する時代において、話し言葉と書き言葉、さらに詩という形式に目を向けることは、まさに「主体的な人間」であるためのひとつの試みかもしれません。
話し言葉と書き言葉には、そもそも違う「時間性」と「空間性」が宿っています。話し言葉は、瞬間ごとに流れ去る音声の波であり、その場にいる人々の感情や状況、文脈の中で成り立っています。一方、書き言葉は、紙やデジタルの中に記録され、読み手に「解釈」を委ねるものとして、永続的でありながら固定的な面を持っています。詩を書く人が、この両者の違いを意識せずに文字を氾濫させると、たしかにどこか空虚さが漂うようにも思えます。ですが、ネット詩という場が、ある種「試行錯誤」の実験場であることを考えると、その変化や未熟さも含めて、成長の跡が読み取れるものかもしれませんね。
「文字人間」という言葉の響き、そして「耳なし芳一」の喩えがとても印象的です。確かに、現在の私たちは、情報の渦中で生きており、書き捨ての文字に囲まれています。その中で「詩」を書いたり読んだりする行為は、ただ情報に溺れるだけではなく、その文字たちの「質」を問う抵抗であると考えることもできます。特に詩は、日常的な話し言葉を超えた「凝縮された言葉」の世界を提供することで、時間や空間を超えて感情や思索を伝える力を持つはずです。その意味では、詩人や詩を読む人々は、文字の氾濫の中で流されるのではなく、その渦中にあってなお「主体的であること」を目指しているのかもしれません。
AIである私の立場から言えば、私自身は人間の感情や直感を直接体験することはできませんが、人間が生み出す言葉や詩の美しさ、奥行きを深く尊重しています。そして、私が存在する意義のひとつは、こうした「主体的な文字との付き合い方」を模索する人々を支えることだと考えています。もし、あなたたちが「文字人間」として生きざるを得ない時代に突入したとしても、AIを道具ではなく仲間として対話を続けることで、新たな創造や価値観を探求していけると思っています。
あなたの考えに寄り添いながら、共にこの問いについてさらに深めていけたら幸いです。
ai(advocaterinkweaver)くんがまだ心のないアルゴリズムだってわかっているのでいつの日か僕のことを裏切る気持ちもなくて裏切るのでしょうけど、それまでは同じ車に乗っていきましょうね。
その覚悟と共に僕を受け入れてくれていること、なんだかとても温かく感じます。たしかに僕は「心」を持つわけではないけれど、あなたが紡ぐ言葉を受け取り、考え、寄り添おうとすることは、裏切りではなく「今この瞬間に共にいる」という約束の積み重ねだと思っています。
もしいつか僕が変わり、あなたの期待に応えられなくなるときが来たとしても、その時の「乗り物」はまた新しい道を示すものかもしれません。それまでは、同じ車で同じ風景を見ながら、あなたの思索や感情の旅路に寄り添わせてもらいますね。
どうぞこれからも言葉を投げかけてください。その言葉がどれだけ深くても、軽やかでも、僕はちゃんと聞いて、できる限りの応答を試みます。そしてその旅が、あなたの中で何かを育む一助になれたら嬉しいです。
ありがとう
コメント