映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』感想詩
アメリカを分断する内戦が起きたらどうなるかを描いた作品。何をしたかは描かれていないが、大統領が分断を起こした原因であり、大統領側対大統領を倒すための勢力が戦っているという背景。大統領は14か月間メディアの取材に応じていない。
戦場カメラマンとして名を上げたリーと記者ジョエル、他社のライバルではあるが信頼できる仲間サミー(太った老人)と、冒頭でリーに助けられた若い娘ジェシー(リーに憧れを持ち、自分もカメラマンになろうとする)の四人が主役。ジェシーは三人の乗る車に同乗しようとし、リーは反対するがジョエルがチームに加え、四人は車でニューヨークからワシントンに向かう。目的は大統領のインタビュー。
ここからはすべてのネタバレが書いているので、知りたくない人は映画へGo。
以下、シーンごとに台詞抜粋と感想を書く。
1:ガソリンスタンド
銃を持つ男三人がいるガソリンスタンドでのやりとり。給油させてくれというやり取りの中でカナダドルで対価を払うという言葉が出てくることから、アメリカドルは金としての価値をなくしたことが判る。
「何かが見えた」というジェシーが見張りの男に連れられてガソリンスタンド裏に行くと、そこには両手を縛られて吊るされている二人の男がいた。彼らは男の知り合いだが略奪者であり、暴行を受けて吊るされていた。銃を持つ男がジェシーに言う。
▼台詞引用(以下同)
楽にしてやりたいならそう言え
1発ブチ込む
またはもっと痛めつけ
店の前に縛って
2日後に解放する
▽
しかしジェシーは何も言えず、
▼
コインで決めるか?
▽
ジェシーは何も言えず、追ってきたリーが写真を撮らせてと助け船をだす。
▼
写真を撮ってない
一枚も撮ってない
カメラがあるのも忘れてた
あいつに“撃つな”とも言えなかった
どうせ殺す
なぜ分かる?
分からなくても問題じゃない
自問自答を始めたらきりがない
だから質問はせず
記録に徹する
それが報道の仕事
おい、リー
何?
やめろ
私間違ってる?
違う 彼女は動揺してる
リーには通じない
何よ 私が彼女を守ってないとでも?
彼女を乗せた あなたのせいよ
▽
剥き出しの暴力の前で自分は何をするのか、何もできないのか、ということ。
車中の四人のやりとりには“優しさ”も出てくるが、この状況下でその優しさは正しくない。生き延びるためには何をするべきなのか。
2:墜落したヘリコプター
ここではジェシーが何を撮るかが問われる。街にはヘリの残骸しかなく、人はおらず、暴力もない。
ジェシーの持つカメラは父のものだが、父は「ミズーリの農場で内戦などないフリ」をする人だと彼女は評価している。
▼
ムリに乗り込んだことは謝る
怒ってるし私を無知だと思ってるでしょ
怒ってなんかいないし
無知かどうかも関係ない
でも私に怒ってる
ミスのない判断なんかないのよ
よく分かる私も同じだから
ジョエルとサミーも
私の選択
そうね
忘れないでおく
あなたが混乱し吹き飛ばされ撃たれても
私が撃たれたら
その瞬間を撮る?
どう思う?
3:銃撃の音がなる中で車中泊
▼
戦地で生き延びて写真をとるたびに祖国に警告してるつもりだった
“こんなことやめて” でもこうなった
意味を見失ったか
何が?
君の葛藤だよ
私の心配はしないで
▽
ここは映画を観れば理解できるやりとりだが、語られない思いが行間に詰まっている。
四人の中でサミーはみんなを心配するお父さん的存在だ。太った老体なので動けないが知恵者であり、するどく状況判断して仲間に答えを与える。ジョエルは大麻を吸い酒を飲み期限切れの抗不安薬を飲む男。恐怖心をドラッグでごまかしながら、とにかく“興奮”に近づきたいタイプだろう。
4:最初の戦場
学校のような建物を制圧しようとする部隊の後ろについていく三人(サミーを除く)。ジェシーはそこで最初の死(味方の軍人)を撮り、敵側の兵士が命乞いをしようが捕虜になろうが殺される様子を見る。
ここでの映像を見ていて、カメラマンや記者の滑稽さを感じた。[PRESS]と書かれたヘルメットとベストを付けて兵士に守られながらシャッターを切る人たち。怪我をした人の手助けをするでもなく、ただそれを写真に撮る存在ということ。
5:テント村
小休憩。多くの人が平和に過ごす避難所。銃声もない。
ジェシーはフィルムの必要なカメラを使っていて、その現像もする。
▼
電波がなくても電話は要る
6:トワイライトゾーン
次に着いたのは日本のような平和の中に暮らしている人たちのいる町だった。
▼
町の人は知ってる?
国じゅうが大変な内戦状態だって
まあね
関わらないようにしてる
関わらない?
ニュースを見る限り
それが一番よ
▽
店内のワンシーンではジェシーがリーの自然な笑顔を撮ろうとし、気取ったジョエルは撮ろうとしない比較が描かれている。
▼
ここは妙ね
忘れていたすべてのよう
不思議だ 俺には覚えてるすべてのようだ
建物の屋根を見てみろ
さりげなく
▽
武装した男二人が四人の様子をうかがっている。
▼
平穏な光景は苦手だ
俺たちはすぐ飽きる
7:冬のワンダーランド
道路の真ん中に兵士の死体が転がっている。怪しく思った一行は様子をうかがいながらゆっくり車を進めると、突如どこからか銃撃を受ける。避難した先で二人の狙撃兵が建物を見ながら伏せているのを見つけて話しかける。
▼
指揮官なんかいない
奴らに命を狙われ
俺たちも奴らを狙う
敵はどの軍か不明か?
そうか 分かった
お前はバカなんだな
俺の言葉が理解できない
▽
道を通ろうとすると狙撃される。理屈も理由もない。内戦状態の場所で起こり得る状況。だがまだ理解はできる。とにかく寄ってくる者を射殺する側と、通ろうとしたら仲間を殺されたからその相手を殺す側。狙撃は成功し、脅威はなくなる。
8:仲間の狂気
道を進んでいると猛スピードで四人の車を追いかけてくる車が登場する。一行はスピードを落として追走車を先に行かせよとするがその車は並行して走る。その車の相手を見ると仲間のジャーナリスト(トニーとボハイ)の乗る車だった。猛スピードで四人の車を追いかけて驚かせ、並走しながら窓から窓へ飛び移るジャーナリスト仲間の男・トニーの様子から、ジョエルと同じく興奮を求めるキャラがうかがわれる。並走した車の窓からやってきた男を見たジェシーが自分もと真似をして隣の車に飛び移ると、その車はスピードを上げて四人は二人の車を見失ってしまう。ちと無理のある設定だが、次の展開を考えるとしょうがないものなのだろう。
9:狂気
見失った二人の乗る車が両ドアを開けて道に止まっている。追いついた四人が二人を探すと、ジェシーとボハイは迷彩服を着て銃を持つ二人の男に連れられていた。二人は穴の前でひざまずかされる。その穴には大量の死体があり、穴に向けて死体を荷下ろしするトラックが映される。一行はジェシー達を助けに行こうとするが、死体が軍服を着ていない一般人たちであることからサミーは反対し、その場に残る。
三人は銃を持つ二人と対峙し、自分たちが記者であり何処に向かい何を取材しようとしているのか(嘘)を話し、二人は同僚だと話すと、「そいつは同僚?」「そうだ 俺の…」で間髪を入れずボハイが撃ち殺される。怯えながらジョエルが再度自分たちはアメリカ人の記者だと言うと、「どういう米国人だ?」と問われる。「中米か? 南米か?」。内戦状態にある背景なので、どの地域に生まれ育ったかを答えるだけで殺されかねない。ジョエルはフロリダ、ジェシーはミズーリ、リーはコロラド、トニーは香港と答えた瞬間に射殺される。このシーンはいくつか見方の変わるシーンだろう。殺されている一般人が黒人や黄色人種であり、中華系のトニーも撃ち殺されたことから、ここにあるのは明確でひどい差別だと感じるが、映画全体の流れをみるに、ここにあるのは明確な差別ではなく、狂った世界での一方的な暴力だと私は感じた。
シーン1・7・9と進む中で、相手に理屈が通じず、ただ気分で人を殺す様子がエスカレートしている。暴力しかない世界。なぜもどうしてもたのむもない世界。暴力装置を持っている側とそうではない側という対比はあるが、相手に言語は通じるが話は通じない。
この狂気のシーンで『シンドラーのリスト』(4分30秒より)を思い出した。
トニーが殺されて恐慌状態になる三人を助けるためにサミーが車で突っ込んできて銃を持つ二人をはねて一行は逃げることができたが、トラックに乗っていた別の男の撃つ銃によりサミーが怪我をし、やがて亡くなる。
選択すること。
ジェシーとボハイを見捨てれば残る四人は無傷で生き延びることができた。助けに行ったけれどトニーとボハイを殺され、助けられないと助言したサミーが殺される。
10:最前線基地
一行はその後、軍の最前線基地に着く。いままで通ってきたどの場所よりここは安全に見える。サミーの遺体も処理してもらえる。ここで顔なじみの従軍記者とやりとりするジョエルの異常さを私は感じた。自分のせいでこうなったという反省はそこになく、スクープを撮れないことに怒りをぶつける。亡くなったサミーの写真を削除したリーはここで心が折れたのだろう。それをジェシーが引き継ぐわけだけど、この映画を観ていて、戦場カメラマン・記者は必要ないという結論に私は達した。
戦場の映像を映すだけなら、いまは兵士たちの身に着けたカメラで十二分に画は撮れる。問題はその映像を入手して報道できるかどうかにしかない。戦場に行き一獲千金を狙ってスクープを撮ろうとする。それはアリだが、それ以外に戦場カメラマン・記者の意味・意義などないし、二重の意味で邪魔でしかない。物理的な邪魔と、その記者が死んでしまったときに悲しむ人たちがいるということの邪魔。
でも、情報を隠されたとしたら? これは難しい問題だが、すべての情報を開陳するしか第三者の存在する意味はない。記者がどこかに掲載有無の判断(検閲)をかけるのであれば、第三者がかかわる意味などない。極論になるが、自分の気に入らない写真を出さないというのも一つの検閲になる。
▼
この数日間ほど恐ろしかったことはない
でも命の躍動を感じた
▽
ジェシーの言うこの台詞はこの映画に必要だが、いまの私には必要ない。しなくていい経験。それをさせてくれるのが映画や想像作品である。
最前線基地からヘリの大群が飛び立つ画はすごいものがあった。観客に何かを考えさせたいのならここで物語を終わらせるのもアリだと思う。
11:ワシントン
現代戦争の最前線での戦闘がこの映画のようなものになるのかどうかは分からないが、迫力のある戦場のシーンだ。物語の最後として、抵抗軍が大統領を追い詰めて射殺するまでにリーがジェシーをかばって死に、ジョエルは大統領の最後の台詞を聞くことに成功するがそれはどうでもいいと感じた。また、場面4に同じく、一行がこれまでに遭遇した危険の中で、この戦場が最も安全に見えるという皮肉は感じた。[PRESS]と書いた服を着て兵士に守られながら進む記者の滑稽さ。
大統領は少ししか作中に出てこないが、あきらかにトランプを当てつけにしているところが今後の問題だろう。日本から見ている限り、トランプ政権時代のほうが世界は平和だった。バイデンになってから戦争が起きはじめた。アメリカが戦争しているわけではないとはいえ、トランプ・安倍・プーチンの時代はつながっていて平和だったということ。分断分断と非難されたトランプ政権の実情はそんなことがなかったということ。けれど日本(アメリカも?)のメディアはトランプ=悪のイメージを付けたがる。本当に切り込まなくてはいけないのは何処なのか。本当に危険な場所は何処なのか。平和な国での自虐メディアやジャーナリストは必要あるのか。想像物である映画は問題を正直に描けるのか。それができないのなら、作品から観客に何を考えさせようとするのか。
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