風の形
乗れなかった列車
届かない指先
人混みの中
涙が頬をつたい
わたしは遅刻
会いたい人がいた
伝えたいことがあった
できることなら
紙の表面に
その滑らかなサインまで
いただきたかった
もし初詣の御守りを
買っていったら
馬鹿だな、と言って
笑ってくれるだろうか
許してくれるだろうか
木枯らしに吹かれていると
ほんの一瞬だけれど
風の形がわかった
許された気がした
乗れなかった列車
届かない指先
人混みの中
涙が頬をつたい
わたしは遅刻
会いたい人がいた
伝えたいことがあった
できることなら
紙の表面に
その滑らかなサインまで
いただきたかった
もし初詣の御守りを
買っていったら
馬鹿だな、と言って
笑ってくれるだろうか
許してくれるだろうか
木枯らしに吹かれていると
ほんの一瞬だけれど
風の形がわかった
許された気がした
会員でない方は会員登録してください。
コメント
会いたい人 というのは、この間の11月13日に亡くなられた あの詩人でしょうか?もしそうなら、私、その詩人から頂いた手書きの葉書をもってます。←すこし自慢です。。^^;
でも、この詩で、
木枯らしに吹かれていると
ほんの一瞬だけれど
風の形がわかった
許された気がした
というのが、読者の私まで、許された気がしました。
>風の形がわかった
ここの表現、素敵ですね!
>乗れなかった列車
というのは、死後の世界行きの列車なのかな
その方はきっと、もうずっと前から
許しているんじゃないかな
ふと、そんな気がしました
@こしごえ
こしごえさん、コメントありがとうございます。出会いがあって、別れがある。その繰り返しの日々の中で、得られるもの、擦り減っていくもの、があって。許したり、許されたり。
詩を書くきっかけ、というのは人それぞれだと思いますが、心をうたれた詩との出会い、って結構あるあるかな、なんて。私の場合はありきたりだけれど、谷川さんの「かなしみ」であったり、中原さんの「逝く夏の歌」であったり。
@雨音陽炎
雨音陽炎さん、コメントありがとうございます。
風に吹かれていると、自分を触って行ったものたちの形、何となくわかる時、ってありますよね。
雨音陽炎さんがおっしゃりとおり、もう許してくれてるのかな。許されたいと思う一方で許されたくない、なんてこともあって。