ふるさと
こんなところにまた帰って来たが
出て行ったことは正解だったんだ
こんなやつもあんなやつもいたし
こんなこともあんなこともしたな
すべてが綺麗なもんでも当然ない
すべてが嫌いなわけでも無論ない
残った人も戻った人もここにいる
ずっとここにいたら腐ってたろう
戻って来られたから会いたくなる
会いたい人もいずれはいなくなる
美味しいものも思い出せなくなる
たまに戻っては歩くくらいが良い
もうすぐふるさとは消えてしまう
もうすぐふるさとは消えてしまう
こんなところにまた帰って来たが
出て行ったことは正解だったんだ
そしてここがふるさとになるのだ
コメント
こんなこと言っちゃアレですけど、あのあたりは何もないですもんねー。白浜まで行く道中に、マリーナシティに寄るくらい。自分は結局地元の人と結婚して地元に家を買ってしまったせいで、ふるさとなんて一切感じない人生を送りそうです。
子供の頃に住んでいた場所? それとも大学生から新婚の頃に住んでいた場所? それとも家を建てて今住んでいる場所? どこが私のふるさとなんだろう。どこもふるさとのようでもありそうでない気もする。誰もがそこをふるさとと思えばふるさとだ。それがふるさと納税の意味でもあった。私にとって明確にふるさとと思える場所が一つあった。それは海外に行った時に感じる日本国だった。日本が消えると困るなとそう思った。
ふるさとに首までどっぷり浸かっておる僕ですが、あのふるさとはとっくになくなったと思っておりますねーだから追い続け悔い続けておるのかもねー会いたくねえ奴には会うんだけどねー会いたいひとは何処にいったのやら…
“出て行ったことは正解”のところに共感が止まないのです。自分には罪悪感のような感情もあって。みぞおちを拳でぐりぐりされているような心地になります。
消えてしまう、は読者それぞれの不穏な何かに語りかけているようで立ち止まってしまいました。
@トノモトショウ
さん、コメントありがとうございます。
そんなこと言っちゃアレでしょう(笑)
何もないところこそ、ふるさとに相応しい、一人旅の旅先みたいなもんですわ。
好きな人も仕事も地元にあるのに外に行く必要がないとピュアに地元に残った友人を実は尊敬してる。
@たかぼ
さん、コメントありがとうございます。
そうですねえ、どこでもふるさとになりうるし、どこのふるさとも消えてしまうとも言える。これからの時代は地球、我らが星がふるさとだと月や火星から思うのでしょうな。
@三明十種
さん、コメントありがとうございます。
追い続け、悔い続けるって何かわかります。自分はいつまでここに戻って来る人でいるだろうなんて思いながら。
@たちばなまこと
さん、コメントありがとうございます。
出て行った者は出て行って正解、残った者、戻った者もおそらく正解ということなのでしょう。個人的な思いを何層かで乗せながら、なるべくいろんな読まれ方を想定してフワフワに書きました。
1時間弱で帰れる故郷ですが、この詩のような感情にとらわれることはあります。時々帰ると、何というか、ちょっと恥ずかしいですね。幼年から思春期の情景が戻ってくるので。いい思い出はあまりありません。…でも、故郷ですね。
この詩は、普遍的に、ふるさとを一度は出ていった人について書かれてあると思います。
ああ、そうだよな、そうだよな、と思いながら、この詩を拝読しました。
普遍的に書くのって、(個人的には)難しいと思う。だから、あぶくもさんの筆力の確かさを貴重に思います。
@長谷川 忍
さん、コメントありがとうございます。
1時間弱で帰れる故郷とは何だか乙なものですね。人には同じ環境で成長して行くのが合う人と、環境を変えながら成長して行くのが合う人がいる気がします。果たして私は成長しているのかどうか…
@こしごえ
さん、コメントありがとうございます。
フワフワと書いてみましたが、こしごえさんにも、ああ、そうだよなと思ってもらえる箇所があって良かったです。人それぞれのふるさとに思いを馳せれば、案外、遠きにありて思ふもの、でもないのかも知れないなとも思っていたいものです。
ふるさとのイメージは小学生の夏休みに遊びに行っていた両親の実家かな
子どものころは気にしてたけど擬制の故郷でしかないのかもしれないので
最近のふるさとはふるなびで選ぶ我が家かな
@足立らどみ
さん、コメントありがとうございます。
みなさん、それぞれのふるさとへの思いが、あったりなかったりしますよね。
こんな詩を書いておいて何ですが、私はふるさとなんてそもそも擬制で良いと思っています。