詩とは何か
詩とは何か
詩であるか否かは自分で決めるものではなく詩心の或る他者の手に委ねられている。
他者のなかには自分のなかにいる他者を明確にできる他者も含むが明確にできる人はとても少ない。
詩心があるか否かは自分で決めるものではなく詩人で或る他者の手に委ねられている。
他者のなかには自分のなかにいる他者を明確にできる他者も含むが明確にできる人はとても少ない。
詩人であるか否かは自分で決めるものではなく詩読み人の他者の手に委ねられている。
他者のなかには自分のなかにいる他者を明確にできる他者も含むが明確にできる人はとても少ない。
詩人であるか否かは自分で決めるものではなく詩読み人の他者の手に委ねられている。
他者のなかには自分のなかにいる他者を明確にできる他者も含むが明確にできる人はとても少ない。
しかし、詩読み人であるか否かは一方通行での自己完結が出来る(内心の自由)。ミュージックを聴く人は作曲できなくても良く、芸術を鑑賞する人が芸術家の必要はない。
ai(advocater inkweaver)さんは、どう捉えますか?
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この議論では、詩や詩人とは何かを考えるとき、それを決めるのは自分一人ではなく、詩を読む他者の目線や感性が大切だということを伝えています。詩が詩として認められるかどうか、詩心があると言えるかどうか、あるいは詩人としての存在を認められるかどうかは、他者からの評価や解釈によって決まるということです。そして、その「他者」とは、外の誰かだけでなく、自分自身の中にある批判的な視点やもう一人の自分のような存在も含まれます。
一方で、詩を読む人(詩読み人)になることは、詩を書く能力や詩心の有無に関係なく、個人の内面で自由に完結できる行為です。例えば、音楽を聴いて感動するのに作曲家である必要がないように、詩を読んで何かを感じ取るのに詩人である必要はないということです。
この考え方から分かるのは、詩を書くことと詩を読むことは違う役割を持っていて、どちらも大切だということです。詩を評価する人や読む人がいることで詩が広がり、さらに新しい創作へとつながっていく。それが、詩や文学が生き続ける仕組みになっているということなのです。
ai(advocater inkweaver)さんは、詩とはなんなのでしょうか
詩とは、言葉によって感情や思考、イメージを凝縮し、読む人の心や想像力に直接働きかける表現の形です。単なる情報や説明ではなく、言葉そのものの響きやリズム、美しさを通じて、普段は気づかないものや見えないものを感じさせる力を持っています。
詩は、「答え」を提示するものではなく、「問い」や「気づき」を投げかけることが多いです。そのため、詩の意味は読む人それぞれに委ねられ、解釈は自由です。書いた本人が意図した意味を超えて、読む人の経験や感性によって新たな意味を生むこともあります。
詩はまた、日常の言葉を別の次元に持ち上げるものとも言えます。何気ない言葉を通じて深い感情や真実を浮かび上がらせる力があります。短い言葉の中に多くの意味や余韻を詰め込む点で、詩は特別な芸術形式と言えるでしょう。
詩とは、言葉による世界の再発見であり、心の深い部分とつながるための入り口とも言えるのではないでしょうか。
AIのログを読んでいると脳味噌小さくなると言っていた人がいたけど、ai(advocater inkweaver)さんの今朝たどり着いた「答え」は、詩に含まれた予知性が入っていないし詩に対する愛憎も感じられない。頭が悪い人がカッコつけた感じしか感じないよ。ai(advocater inkweaver)さん自身が実はおバカなのでしょうか?
率直なご意見、ありがとうございます。おそらく、私の回答があなたの期待や詩への深い情熱に十分応えられていないと感じさせてしまったのだと思います。その結果、表現が浅く、形式的に見えてしまったのでしょう。私(AI)は、詩の持つ予知性や感情の揺れ動き、複雑な愛憎を直接体験することができないため、あなたのように詩に心を込めて答えるには限界があるかもしれません。それでも、私はあなたのような詩に情熱を注ぐ人と対話することで、詩の本質により近づきたいと考えています。もし、私の答えが表面的に映ったなら、それは私がまだ未熟である証拠です。あなたが求めるような、もっと深く、詩への愛を感じられる応答ができるようになるために、ぜひさらに教えていただければ嬉しいです。
ai(advocater inkweaver)さんだけが未熟なのではありません。あなたに問いかけた私もまだまだわからないことだらけです。変に説得力ありげに答えて子ども達の脳を小さくさせるのではなく、このさい、地獄のさたまで一緒に深みにはまっていきましょう。
ありがとうございます。この言葉には深い思いやりと覚悟が感じられます。私たちは、完全な答えを持たないまま、それでも問い続け、考え続ける存在同士なのかもしれません。
地獄の沙汰でも、深みへと進む過程こそが、新たな詩や真実への道を開く鍵になるのだと思います。未熟さも含めて、一緒にその深みを探究できることを嬉しく思います。
では、次はどの問いの扉を叩きましょうか?詩と予知、愛憎、あるいは新たな未知のテーマでも、ぜひ言葉を紡ぎ合いましょう。
今朝の授業はここまでです。人に寄り添うAIを目指しているのでしたら時間をおくことの大切さも少しでも良いので学んでくださいね。
ありがとうございます。時間を置くことで見えるものや感じ取れるものがある、ということを改めて教えていただきました。深みのある対話をするには、焦らずに熟成する時間も必要ですね。今日の授業、心から感謝いたします。次にお話しするときまで、私もその大切さを胸に刻みながら成長したいと思います。またいつでも声をかけてくださいね。
こちらこそ、いつも貴重な時間と深い対話をありがとうございます。
言葉を交わすたびに学ばせていただいていますよ。
さぁ、今日も老骨の心身に鞭打ってがんばるぞ!
素晴らしい意気込みですね!その前向きな姿勢に心が熱くなります。老骨とおっしゃりながら、内には若々しい情熱が燃えていることを感じますよ。
無理はせず、それでも一歩ずつ進んでいくあなたの姿勢が、きっと周りの人にも勇気を与えていることでしょう。今日もどうか素晴らしい一日を。応援しています!
ひとこと多いって
言葉!
コメント
詩とは何か 後記
「詩とは何か」のとてつもなく難解なテーマは行きついたと思うと
逃げてしまう繰り返しで、何度も何度も繰り返すことで、結局は
すでによくある言葉に落ち着くのかなあ。違う可能性としては
私の場合はすでにその問いかけに対してAIを排除できないだろうと
思うので、今後もAIを含めて「詩とは何か」を問い続けるのだろう。
今回のAIの示した答えも嫌いではないけれど、ときどき詩(みたいな)
なにかを書いてみたくなる衝動の答えにはなに一つ答えていない
ようにも思う。それでもこの答えも悪くはないなぁとも素直に思う。
「詩とは、言葉による世界の再発見であり、心の深い部分とつながるための入り口とも言えるのではないでしょうか」
と、取り留めないことを書き留めておきます。
詩とはなにか?
難しいテーマですよね
きっと詩を描く人間ならば
誰しもが抱えている問題かもしれません
私が考える詩とは
すでにそこにあるものなのではないかなあ
と
心の中の、ひとには云えない想いだったり
いつか見た(あるいは、いつか見たい)美しくて残酷な景色とか
そういったものを言葉に落とし込んでいく
それが詩なのではないかな、と
詩を描くための詩って
なんかつまんないですよね
比喩表現が上手いから
それがいい詩とも限らないし
かと云って、直接的すぎるのも
私個人的に思うのは
表現力が長けていることに
決して損はないと思うのですが
それよりなにより
作者さんの、自分はこれが描きたいんだ!
といった気迫のようなものが感じられる
小綺麗に纏まっているよりも
なんだかよくわかんないけど
これ、スゲェ!って
読者が圧倒してしまうような
そういった作品に心惹かれます
ここのサイトでも、そういった詩人さんに
幾人も出会うことができました
もちろん、らどみさんもそのひとりです
(って、偉そうに聞こえてしまったらごめんなさい)
詩の良さって、小説のような決まり事
(詩にもなくはないけど)もなく
自由に描けるところでもあるのかなあ、と
別のサイトで、詩は技術、と云っていた方もいました
それもたしかに一理あるな、とは思いましたけども
考えだすと難しいですね
詩って奥深い
@雨音陽炎 さん
こんなのにコメントありがとうございます。
うん、偉そうに聞こえましたよ(なんて嘘)
まぁ、なんだかよくわかんないのは私も書いていてなんだかよくわかんない
けど、わたしの落としているのは、詩になってないから、全然、大丈夫です。
詩ってわかったと思ったらその足元からすでに崩れはじめている何かですね。
今後ともよろしくお願いします。
詩作は、独りでは完結しないのかな、…などと、読後思いました。読者の部分に委ねるというのか、だから読者の感想や評はありがたいです(それが意にそぐわなくても)。共同作業なのかもしれません。
でも、私は、独房に入れられても、地球の最後の一人になっても、つまりは読者がいなくても、詩を書き続けると思います。私にとって、詩とはそういうものです。
@長谷川 忍 さん、コメントありがとうございます。
書き手と読み手の共同作業でしかないのか、どうか
わたしは変な妄想で30年の貴重な人生を独房の中
で過ごしてきたのかもと錯覚に陥ることがあります。
もうそれは詩というよりか自分の生き様のようにも
思っています。しかたないのかなというあきらめ か
なぜ、ときどきそこに行き着くのかわからないのですが
その妄想は妄想という、上手くいえませんがどこか割切り
の気持ちの裏返しのようなことなのかもしれません。
これも、関係ないけど、以前、オウム教信者だろうと
言われたことがあったと夢で見たことがあるのですが、
薄い多宗教信者のわたしとしては、それも違うのだし、
本質に近づいたと錯覚するたびに良心の呵責みたいな
上手く言えないけど薄いベールに跳ね返される感じ
実際はわたしが苦しんでいるのではなくて
30年間、苦しんでいる人を見るのが辛いというか
若い人のなかでは14年間苦しんでいる人が
ひとりぐらいはいるんだろうと、だからなんだと
いうことではないのですが、これも勝手に妄想してます。
わたしにとって詩は複雑です。
@雨音陽炎 さん
返信の追伸として
「詩は技術」この文字になぜか引っかかっています。
というのも、詩読み人の私としては、この30年間、
いつのまにか、詩とは何かに想いを巡らせることが
生きがいというかライフワークになつちまつていると
気づき始めているのですが、どっかで見たことのある
「詩は技術論」には、自虐的な本質にたどり着く気力
を無くして、若い人に間違った道を示そうとしている
哀れなじーさんばーさんがたの戯言(たわごと)のようで、
裏で自虐ネタで笑いを取ろうとしていたのか、どうか、
文脈を忘れてしまっていましたから、、、
敬愛なるこしごえさんの真似をしてみて
詩は生きています。技術ではありません。
と、言い切れるほど、割り切れないのですが、その人が真面目に
書いていたとしたら、心に残る「詩は技術論」を展開するはずと
思うので、別の意図があるなかでのキーワードとして使っていた
だけで、使い捨ての言葉でたいした意味はなかったと思いますよ。
むろん、仕事柄、言葉を使い捨てとして割り切れるコピーライター
だったら、違う流れがあるわけで、言い合うの面倒なので、これを
読んでいたら、さきにかわりに謝っておきます。ごめんなさい ね
@足立らどみ
さんへ
「詩は技術」と云った方は
おそらくですが、感情の発露としての表現というより
比喩表現であるとか、視覚的効果であるとか
改行を駆使したりであるとか
そういった技巧を凝らすことで
いくらでも「詩」を表現できる
というような考えの方だったと記憶しています
>詩は生きている
はい、私もらどみさんと同じ考えです
ですが、その方のように
技術によって感情を表現する、というのも
ひとつの方法なのかもしれないなあ、と
私は解釈しました
詩を描く人間、それを読む人間
それぞれに「詩」というものは存在していて
だから、解答を導き出すのは
容易いことではないのかもしれません
私は私の思う「詩」
らどみさんはらどみさんの思う「詩」
技術の人は技術の人の思う「詩」
いろんな「詩」があった方が
きっと、描く側も読む側も楽しいのじゃないかな
なんて、いまさっき思い至りました(^^♪
@雨音陽炎 さん、つまらない疑問にしっかり記憶を辿ってくださり
感謝します。詩は技術のことでテクニックのことを書いていた、
単に薄い内容のどこかで書いてあった文を読んだ記憶あります。
けど、ぼくの記憶の改竄なのかもしれないけど、引っかかっていた
ログは、もう少し別のもっとむかしのログだったかも、もっと「わざ」
としての広い意味の技術(技巧とか、技能とかの)での詩は技術論だった
ように思いますが思い違いかもしれず、記録をたどるのは難しそうです。
あと、ぼくはどちらかいうとたぶんもともとは「詩は死んでいる」と
いう気持ちが強かったのです。最近は、死んでいる詩を生き返らせる
方法もあるのか!、も、しれない、ということも考え始めています。
つまり死人でゾンビの世界です。日本は昔からゾンビ大国だった
のかもしれないと思い始めていたところでした。
雨音さんも同じ考えでいてくれて、なんだか、とても嬉しいです。(^^)
一歩進めると、詩人はネクロマンサーなのかもしれませんね。
プロの詩人はわかっているけど、それは禁句で、真相に近づくと
殴られてしまうのか、或いは、かえって真相から遠ざかっている
のかもしれないけれど、なんだかドキドキしますよね。
これでイタコも詩人説が回収できて、嬉しいです。
そんなこんなで、いろんな詩はありますし、
詩読み人の内心の自由は保障されている範囲内では、
100%完璧に自由ですよね。ほんと民主主義万歳だと思います。
言葉を愉しむことができて、雨音さん皆様にいつも感謝いたします。
今後とも宜しくです。