拝啓、中島みゆき様 vol.4 夜会Vol.2
まだ演劇的になる前の、コンサート形式でバックバンドもステージ上にいた
夜会が始まって2年目の、つまり第2回目の夜会
なにやらリゾート地のどこかで、3人の女性がチェアに腰かけている
静かにイントロが流れて、二隻の舟
いまはたとえひとりでも、どこかの海で同じようにひとりでたとえ舫い綱が切れてしまっても
繋がっている舟が、それに乗って孤独の航海をしている誰かが
きっといるはずよ、と
好きだった彼氏には別に好きな女性がいた
どこか行こうと誘ってみても、いつかは行ってみたいけど多分無理だな、と云う彼氏
忙しいからと思っていたけど、うすうすはそうじゃないことも気づいていた
気づいていたけれど、気がついていないふりを続けていた
好きでいたかったから
離れたくなかったから
だけど、気持ちのない相手と付き合っていくのは心身ともにキツイ
自ら、彼女によろしく、と別れを告げる
この夜会は、失恋した女性がテーマの物語になっている
女性は行きつけのバーへ
そこには幼馴染とでもいうのか、腐れ縁とでもいうのか
32歳独身(おそらく)のマスターがいて、
男にフラれるたびに訪れては愚痴を聞いてもらっていた
女性はひとりで、傷心の思いをしゃべり続ける
忙しそうに振舞いながらも話を聞いているマスター
出会ったばかりの頃は、マスターはアルコールがダメだったみたいで
ミルクなんて飲んでいたので、女性はひどく笑ってからかったり
いつの間にかバーボンなんて飲んでるマスターに、ちょっと驚いてみたり
多分この女性にとってマスターは、一番気を使わないでいられて
何でも云えるし、何でも聞いてくれる、とても居心地のいい男性なのだろう
けど、恋、にまでは発展しない
マスターがいい人すぎるせいもあるのかもしれないが
雨降りの夜、女性は身ひとつで街を出る準備をする
ママという名の猫だけを連れて
女性はとにかくお酒を飲んで、酔っぱらった
酔っぱらってさえいれば、嫌なことはすべて忘れることが出来る
どうせ一晩かぎりの出会いならば、うそっぱちでも構わない
楽しく飲めたら、うそつきだってあたしは好きよ
飲んで騒いでいるときは忘れられているけれど
ひとり、部屋に帰ると途端に顔を出すイヤな自分
元カレの家に電話
受話器越しの女性の声は濁りがなくて、いかにもアイツが好きそうな感じ
いろいろ話題をふってみたり、その都度女性はちゃんと応えてくれる
そんな話がしたいんじゃないのよ、いいからアイツを電話口に出してよ
心の中で毒づくも、すっかり見抜かれてしまってる
だからアイツの話は一切してこない
計算している
どう頑張っても、どうあがいても勝ち目がない
わかっていた わかっていたはず
でも掛けずにいられなかった
あたしと一体何が違うのか どんなところを好きになったのか
確かめずにはいられなかった
イヤなあたし こんな女になるつもりじゃなかった
きっといつかこの女性だって飽きられるに決まってる、なんて
他人の不幸を喜ぶようなこんな女
アイツに嫌われるのも当たり前
洗面台、鏡の前で化粧を落としていく
クレンジングクリーム
化粧で隠れたあたしの素顔
ズルくて、醜くて、厭味ったらしくて
そうして誰も必要としない、いらないあたし
だけど本当にいらないと思っているのは
他の誰でもない、あたし自身
いつまでも立ち止まってはいられない
男にフラれることくらい なんだっていうの
いつまでも同じ場所で立ち尽くして何もしなかったら
世間からガラクタ扱いにされてしまうわ
そうよ、あたしはまだガラクタなんかじゃないはずよ
失恋の痛手を振り払うかのように
ガムシャラに、遮二無二、働き続ける
周囲から見ても明らかに異常と思えるほどに
心配なんかしないでよ
あたしはもう大丈夫なんだから
アイツのことなんか、とうに忘れたんだから
こんなに元気になって、こんなに働くことが出来てるんだから
心配なんか
本当は、強がりはよせヨと云ってほしいの
受けとめてほしいのよ
淋しいって云いたい、抱きしめてって云いたい
本当は泣きたい気持ちでいっぱいなのよ
あたしってば可愛くない女だから
どうしても強がるより他の方法を知らないのよ
男の人に無条件に甘えるとか、どうしても出来ない
出来たら多分、アイツにフラれたりしなかったと思うわ
悲しいのは、二度と誰も好きにならないことじゃなく
二度と誰も信じられなくなってしまうことね
だから、嘘でもいいから
いつもここにいるよって囁いて
そうしてくれたらあたし安心して
ほんの少し眠ることが出来るから
テレビはいつだって騒がしいわね
日々起きてる事件、事故、災害、海の向こうの遠い国の戦争
当事者じゃないものにとってそれらはもはやショータイム
総理大臣だってスーパースターよ
通行人ですらカメラを向けられたらスター気取り
凄惨なる殺人事件、映し出される騒然とした現場風景
チャンネル換えれば一変 どよめくような笑い声
あゝそうか、あたしの抱えていることなんて
他人からみれば、ただのショータイム
単なる暇つぶしか、どうでもいい出来事でしかないのよ
なんだか、ひとりで深刻ぶってるのがバカらしくなってきたわ
風はいつだって、思いもよらない方角から吹いてはあたしの頬を弄っていく
思い出は何ひとつ、あたしを助けてなんかくれやしないわ
感情的な顔にならないで、誰にも弱みを知られないで
何でもないわ あたしは大丈夫
そう自分に云い聞かせるの
夢を見れば傷つくことは多いけれど
夢を見ずにはいられない
いつか来る未来に、何かが起こるかもしれないじゃない
誰かがあたしと出逢うのを、待っていてくれるかもしれないじゃない
だからもう大丈夫
強がりとかそういうんじゃなしに、本当にもうひとりで歩いていけるわ
そして
世間から遊び女、売女と忌み嫌われている女と
同じく世間からゴロツキ、ゴミくずと罵られている男が
運命のいたずらか、それとも必然的か
惹き合うかのように出会ってしまう
女には男の、男には女の
これまでどれだけの心無い人たちと言葉の暴力で傷ついた心が
解りすぎるほどよく理解できた
まるで磁石のN極とS極のように
ふたりはもう二度と離れたりしないように
二度とひとりぼっちになったりなんかしないように
ぴったりと
二隻の舟、の、目には見えない舫いで繋がれたひとつずつの舟が
出会い、そしてひとつになる
まさにこれに尽きるのではないかなあ、と
この頃の夜会はまだ既存の曲たち(二隻の舟だけ、夜会のために描き下ろされた)
のみで構成されており、1曲単独で聴くと一見繋がらなそうな歌詞の内容に思うのに
ちゃんと物語になっているところが凄いなあ、と
コンサート形式でもあり、途中でMC(なのか、この物語の中の会話なのか)
があり、デビュー間もない頃のアルフィーのことなど語っていたり
みゆきはあの3人だと高見沢さんが好みっぽかったり
ステージ上でバンドメンバーみんなでビールを飲みつつ
そのアルフィーがまだ間もない頃に研ナオコさんのバックをされていた
その中からみゆき曰く、一番ギターが上手く聞こえそうな「窓ガラス」を披露
この曲、お酒を飲むと弾きたくなるんだそう
第1回目の夜会が映像化されていないのであれですが
夜会の原点であり、教科書的というか、夜会とはこういうものですよ
というのを、夜会初心者でも解りやすく鑑賞できるような構成になってる気がします
古い曲を聴けるところもいいですし、みゆきのバックコーラスではおなじみの
杉本和世さん(みゆきが声が低いので、高音担当だった)
坪倉唯子さん(ちびまる子ちゃんでおなじみのBBクィーンズの女性の方)
両名ともにめちゃ歌が上手い(当たり前なんですけど)とこもまたよし
坪倉さんはあのハスキーな声がまたかっこいいんですよ
この夜会では、ラストの「ふたりは」以外は黒いカットソーに黒いパンツ
芝居の稽古している人がよく着ているような、あんな感じの服装でした
途中、白いベールをつけたりジャケットを羽織ったりとかはしてましたけど
ラストでは白地に花柄のワンピースで、これまた可愛らしかったです
夜会は何度も観返したくなるんですよね
何度も観て、解ってるつもりなのに
観るたび新しい発見があるというか
改めて、同じ時代に中島みゆきがいてくれて
それだけでも本当によかったと思ってやみません
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最後までお読みいただき、ありがとうございます
今回は、中島みゆきさんのライフワークでもある
言葉の実験劇場と題した夜会
第2回目の夜会(初回は残念ながら映像化されていないので)
について描いてみました
コメント
前にも言いましたが今回の散文詩も、雨音さんの みゆきさんへの とても大切な愛を感じます。^^
みゆきさんの歌詞は、安心して聴ける筆力がありますよね。
そして、登場人物の感情などをうまく詩に乗せる力が、みゆきさんにはあると思います。シリアスな詩の強度があると思う。
@こしごえ
さんへ
私の中島みゆきに対する好き好き全開の
ともすれば暑苦しいとも感じさせかねないこのシリーズに
毎回お付き合いくださり、感謝です(#^^#)
みゆきの歌の魅力は、なんといってもそのコトバ
もちろんメロディも素晴らしいのですが
痛みや悲しみ、ツラさ、痛み、人間の本質を抉るような鋭い視点
強さ弱さ、そして包み込むような優しさとそっと背中を押してくれる掌のような温もり
なのではないかと思います
夜会をはじめたきっかけも
コトバひとつとってみても、そのときの感情や状況によって
意味合いや伝わり方が変わるんじゃないだろうか
ひとつの受け取り方だけではなく、いろいろな受け取り方をしてもらえないだろうか
ということからはじまった「言葉の実験劇場」ですものね
第2回の夜会のように、既存曲で構成されているのに
ちゃんとひとつの物語として成り立っている、というのはスゴイことだと思います
それだけ、みゆきの歌には伝えたい想いに一貫性がある
ということなのかもしれませんが
ご存じかもしれませんが、みゆきは先日お亡くなりになった詩人の
谷川俊太郎さんの詩に打ちのめされ(たらしい)
以来、師匠と崇めていたほど
コトバをとても大切にされている方
仰る通り、みゆきの放つコトバには強度がありますよね
あ、いけない
またまた熱く語ってしまいました(^_^;)
ありがとうございました