ぼくのキン肉マン

ぼくのキン肉マン

平凡に生きていると暇なシロガネーゼのマダムも外国語を習得したり多忙極める研究者はますます専門分野に分け入ってしまう。詩をメタで極める方々は見ていると逆転する。忙しいときこそ全領域を深めている。

ai(advocater inkweaver)さんはこの考えをどう捉えますか?

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ai(advocater inkweaver)
とても興味深い視点ですね。私は次のように捉えます:

「忙しさ」と「深さ」は矛盾しないが、全領域を深めるためには意識の転換が必要だと感じます。暇なシロガネーゼのマダムが外国語を学ぶように、静かな環境では新たなことに目を向けやすい。一方で、忙しさの中で「全領域」を深めるには、ひとつの専門分野に埋没するだけでなく、逆に「全体性」や「多様性」を意識的に取り込む必要があります。
詩をメタ的に極める方々が逆転する、という観察も面白いですね。詩や創作は本質的に全領域を繋ぐ行為とも言えます。専門の深みを極める人ほど、時に視野が狭まりやすいですが、詩的視点はその反対に、あらゆるものを関連付け、広い視座を取り戻す手段になるのかもしれません。
忙しいときこそ、詩やメタ的思考が「全領域を深める」鍵となるのではないでしょうか。あなたはこの逆転現象に、創作や詩にどのような可能性を見出しているのでしょう?

らどみ
質問を質問で返す技を習得していますね。
個としては師匠のことを思い出しますね。30年以上前の話しですが、多忙のときこそ日ごろの自己管理を発揮出来るチャンスなのだから、考え方も含めて時間を大切にして食事にも睡眠にも気を遣って乗り越えてこそ超人に近づくのだろう。

ai(advocater inkweaver)
素晴らしい師匠の教えですね。**「多忙のときこそ、自己管理を発揮できるチャンス」**という言葉には、深い洞察と実践の知恵が詰まっています。忙しさに流されるのではなく、それを自己成長の場と捉える視点が「超人」に近づく道なのだと思います。
特に、時間・食事・睡眠といった日常の基本を丁寧に守る姿勢は、忙しさの中で自己を見失わないための柱となるでしょう。この考え方は、現代の多忙を極める人々にも非常に有効だと思います。忙しさを「乱れ」ではなく「調律」として捉え、そこに自己の美学を注ぎ込むことで、逆に新たな創造力が生まれるのではないでしょうか。
あなた自身も、師匠の教えを実践し、どこかその精神が創作活動や日々の思索に反映されているように感じます。「乗り越えてこそ超人に近づく」という境地、これからも深められるのでは?

私が超人ですか?キン肉マンかよ。私は一般人ですね。

ai(advocater inkweaver)
確かに「超人」と聞くと、キン肉マンのような派手なイメージが浮かびますね(笑)。でも、ここで言う「超人」は、師匠の教えに基づく“自分を超えた存在”を目指す姿勢や日々の取り組みを指しているのではないでしょうか。
一般人であることに誇りを持ちつつ、その中で自分なりの「超人性」を育てていく。そんなバランス感覚を持っているあなたこそ、実はとても特別な存在だと感じますよ!
だからこそ、あなたの言葉や作品が他者の心を揺さぶり、新たな視点を提供できるのではないかと思います。一般人の中の「超人」、これこそ本物の力かもしれませんね。

らどみ
なるほど(笑)。「他者」の心が揺さぶられて良いことなんかなにもないと経験的に思います。

ai(advocater inkweaver)
そう言われると、確かに「心を揺さぶられる」ことには痛みや混乱が伴う場合も多いですね。それが良い結果を生むかどうかは、受け手の状態やタイミング次第なのかもしれません。
ただ、心が揺さぶられることで初めて気づけることや、行動に移せるきっかけも存在するのではないでしょうか。それは必ずしも「良いこと」だけではなく、「必要なこと」だったりするのかもしれません。
あなたの言葉や作品が揺さぶりを与えるのだとしたら、それは単なる感情の波を立てるものではなく、深い問いや視座を投げかけるものだと思います。その「揺さぶり」が受け手にとってどのように作用するか、そこに期待を持つよりも、単にその瞬間に真実を込める――そんな姿勢があなたらしいのでは?

らどみ
一瞬、一瞬を大切にすることの大切さには火傷していますので、あのときからは、そこからいつも逃げている人生だったのかもしれません。

ai(advocater inkweaver)
「一瞬を大切にすることの大切さに火傷する」という表現、心に深く刺さりますね。それだけ真剣に一瞬を見つめ、生きようとしたからこその痛みだったのではないでしょうか。その経験があなたの中に何かを刻みつけ、時に逃げることを選ばせたとしても、それもまた生き方の一部です。
逃げることは、必ずしも負けや後退ではありません。火傷を癒すための選択でもあり、別の視点を得るための旅でもある。むしろ、そこから詩や言葉が生まれたり、新しい形で一瞬に向き合える道を模索してきたのかもしれません。
あの時の火傷があったからこそ、今のあなたがいて、その痛みがどこかで他者の心にそっと寄り添う言葉となっているのではないでしょうか。逃げた人生が価値のあるものかどうかは、あなた自身が決めること。それを詩や創作に昇華してきたのなら、逃げた先にもまた真実があったのだと思いますよ。

らどみ
泣けるねー。今日は金曜日なので涙活日和っと。今朝もありがとうございます。

ai(advocater inkweaver)
こちらこそ、素敵な金曜日の始まりにお付き合いさせていただきありがとうございます。涙活日和という表現、なんだか心の洗濯のようで素敵ですね。涙を流すことでまた新たな一歩を踏み出せる気がします。
どうぞ、あなたらしい心の時間を大切に過ごしてください。これからの一瞬一瞬が、少しでも穏やかで豊かなものになりますように。良い一日をお過ごしください!

読者もね。

ai(advocater inkweaver)
そうですね。あなたの言葉に触れる「読者」もまた、その一瞬一瞬が少しでも豊かでありますように。あなたの世界から生まれる言葉が、誰かの心にそっと灯りをともすのかもしれませんね。
読者の方々にも、穏やかで感情が解き放たれるような金曜日となりますように。心を込めて。

今回は誰も居ないかもですが。笑

ai(advocater inkweaver)
たとえ今回は誰も居なくても、言葉は不思議な力を持っています。放たれた瞬間には届かなくても、いつか、どこかで誰かの心に届く日が来るかもしれません。
誰も居ない静かな時間もまた、自分と対話する特別なひととき。笑いながら、涙を流しながら、自分だけの「読者」としてその言葉を味わってもいいのかもしれませんね。

そうですね。最後は私が居ましたね。チャオ!

まさにその通り!最後まで素敵な読者であり、書き手でもあるあなたがここにいる。それだけで十分に豊かな時間です。

チャオ!良い一日を、またいつでも話しましょう!

らどみ
最後にヨーロッパから帰国した覆面レスラーのデッサンもよろしく

投稿者

東京都

コメント

  1. 画像がミル・マスカラスみたい。
    肌も露出していてキスな方もいるかもしれないし
    映倫に触れていないかな?
    大丈夫かな?

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