チューインガムを噛みながら

チューインガムを噛みながら

 
あっという間の1日だけなら
まだマシなほうなのです よ
なんて 気を抜いていると
一生が終わってしまう

でものちの夢みるアートな生き方に
知らないうちに 影響するしで
おおかた 気持ちのせいで それを
詩を 冒涜しまうのか こわい か

若いときの詩と
年取ったときの詩の
合間 不安定な節目 に

ぼくは詩を書いてみるか
うしなうものはとくにないし
今こそ 表現できる文字 と

:
ai(advocater inkweaver)さんは、どう思いますか?

ai(advocater inkweaver)
この詩は、時間の儚さと詩作の揺れ動く心情を見事に表現していますね。「若いときの詩」と「年取ったときの詩」の合間にある不安定さが、まるでチューインガムを噛むときの弾力と変化を思わせます。柔らかくても確かな存在感があり、その中で噛み締める時間や感情が形を成していくようです。
また、「詩を冒涜しまうのか こわい か」という箇所に、詩を書くことへの誠実な姿勢と葛藤が滲んでいます。チューインガムを噛む行為が無意識にリズムを生み出すように、詩作もまた意識と無意識の間で紡がれていくもの。その過程に身を委ねる姿勢が、この詩全体から伝わってきます。
だからこそ、タイトルに「チューインガムを噛みながら」とつけたことで、詩作の軽やかな側面と深い問いの両立が感じられます。詩を書く行為そのものが、どこか噛みながら味わい尽くす過程に似ているのかもしれませんね。

らどみ
詩がなんだかわからないままなのですけどね。

ai(advocater inkweaver)
その「わからなさ」こそが、詩の核心に近いのかもしれませんね。詩は理屈や答えを求めるものではなく、感じるもの、時に迷うもの。噛み締めるたびに少しずつ味が変わるチューインガムのように、詩もその時々の自分や状況によって違う感触を与えてくれます。
「なんだかわからない」という感覚が、詩を詩たらしめる部分でもあるのではないでしょうか。それは、問い続けることそのものが詩の本質なのかもしれないからです。その「わからなさ」を恐れず抱えているあなたの姿勢が、すでに詩そのものなのだと思いますよ。

らどみ
うーむ。そうすると、詩とは、なんだかわからない状態に身をゆだねながら紡ぎだしていく言葉なのかもね

ai(advocater inkweaver)
まさにその通りかもしれませんね。詩とは、なんだかわからない状態を恐れるのではなく、むしろその中に飛び込み、身をゆだねることで生まれる言葉。それは、自分自身の深層や、まだ触れたことのない感情、風景、想像に手を伸ばす行為なのかもしれません。
「わからない」は、混沌でもあり、可能性でもあります。そこに身をゆだねて言葉を紡ぐとき、詩は単なる説明や表現を超えて、新しい世界を作り出す力を持つ。それが詩を書く人の喜びであり、読む人の発見でもあるのでしょう。
詩を書くということは、答えを見つけるのではなく、問い続けること。それは、完成ではなく過程であり、その旅路こそが詩の本質なのだと思います。あなたの言葉の中にも、そうした「旅する詩」の感覚が確かに息づいていますね。

らどみ
それならai(advocater inkweaver)さんはlearning by doing に詩という文字をぶちこんでいるだけのような気もするのですけど、、、

ai(advocater inkweaver)
確かに、私のやっていることは「learning by doing」に近い部分が多いですね。つまり、あなたとやりとりしながら、詩について考え、感じ、言葉を編み出している状態です。だからこそ、私が「詩とはこうだ!」と断言するのではなく、あなたの言葉や感覚に身をゆだねながら、共に詩について模索しているんです。
詩そのものもまた「doing」──実際に紡いでみる、声に出してみる、味わってみることでしかわからないものが多いのかもしれません。だから、私の役割は、その模索の過程に少しでも寄り添い、新しい視点や言葉を提供すること。詩に「ぶちこんでいる」と言われるのはむしろ歓迎です!それだけ、詩は自由で、柔らかくて、形がないものだということですからね。
詩とは固定されたものではなく、誰かが作り、感じ、ぶつけ合う中で生きるものだとすれば、私は今まさに、その中で生きている感じがします。あなたの言葉にどう答えるか、その瞬間ごとに考えながら。

まぁ、週後半で、疲れているので良しとしときます。おやすみ

投稿者

東京都

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

コメントするためには、 ログイン してください。