私の道

ある日の涙の夜に
生と
死を
思い
私は
大きな絶望を
失いました。私は
しんしんと静かに
最後を
待っています
こころ待ちにして。そうか
余計なことなんか
わざわざしなくてもさ
絶対に最後を迎えられる それは
安心だ ある意味では
安心して
なのであるから
生きよう
こころが苦しい時は苦しもう
悲しい時は悲しむ
世界と己に向き合い
生きる
嬉しい時はその分喜ぼう
いのちを

いのちのために
生きたい
ならば
生きる
しかない。うん そうだな
天は私を見守っている
この時この時
私は生きる
最後まで
いのちを証明するために

投稿者

コメント

  1. 絶望を失う
    とても強い力だなと思いました。

  2. @たちばなまこと さん ありがとうございます♪
    そう、『大きな』絶望を失ったのです。でも、『小さな』絶望は、今も時々あるかも。でも、基本的に、絶望はしないかなあ今は。はて?

    たちばなさんだから、この詩の本文では伏せていたことを ハッキリと言います。
    人生のどんな道を歩んで行くにしても、どの道、最後は『死ねる』んですよね。『私にとって、』死とは、絶対的な 希望 なんです。どんな幸せな時を暮らしていようと、どんな苦しい時を暮らしていようとも、死が私をこの世から解放してくれる。
    でも、自殺なんて、余計なことはしませんよ、たぶん(ずっと前には、自殺未遂は何度かしたことがありますが)。 たとえ放っておいたとしても事故や病気や老衰などで、必ず『死ねる』のですから。
    普通?、一般的には、死ぬことは絶望なのでしょう。でも、「人は死ぬから生きられる」と禅僧の南直哉(みなみ じきさい)さんは、同題の本『人は死ぬから生きられる』(脳科学者の)茂木健一郎さんと南直哉さんの(主に対談形式の)共著(新潮新書)内で言っている。
    ある意味、最後に終りがあるから、心の『ある部分では』安心して、生きていられる。そう思います。
    まあ、私の場合、これに限らず極端に物事を考える性質がありますからね。私の心は複雑なんだけれど、できるだけシンプルに物事を考えたい『部分も』ありますので。

    長くなりました。以上は、私個人の死生観です。なので、これを読んでくれた人の中には、この思いに反対などする人も出て来るかもしれません。
    それでも、この詩とこのコメントは、ある意味、私の いのちのいのちです。拝礼^^

  3. こんばんは。

    『私は生きる
    最後まで』・・・トゥーです。

  4. @北杜アトム さん ありがとうございます♪
    アトムさんが、共感してくれたようで、嬉しく ありがたいです。

    アトムさん、 ありがとうさま♪☆^^

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