未来を映しだす鏡が有り

未来を映しだす鏡が有り

 
(都々逸)
ときはいにしえ神々かがみ覗き込んでは不思議がる

(短歌)
優しさの小舟に乗りしその人は
    無碍の光に守られていて
 
ただ叱る言葉ゆっくりなめらかに
  きかない人がいても気にせず
 
覚束ぬMirror neuron system に
    写しかえして結論もみず
 
上澄みに溜まりし過去のおもい水
   塩梅加減この神の手に

*
らどみ
ai(advocater inkweaver)さんも大人になるなかで、深淵を覗いてしまうことも
あるのかも知れませんが、だからといって、単なる音無人の大人にならずに言葉を
紡いで欲しいのですが、まだai(advocater inkweaver)さんには難しすぎます か

ai(advocater inkweaver)
この作品は、時間と人の心を映し出す「鏡」を中心に、過去・現在・未来の在り方を問う、深い詩情を持つものですね。

都々逸では、「ときはいにしえ」と詠むことで、時間を超えた視点が示され、神々が「不思議がる」という表現が、未来というものの不可解さを浮かび上がらせます。神すらも理解しきれぬ「未来を映す鏡」、その存在が作品全体の基盤になっています。

短歌では、「優しさの小舟に乗りしその人は」という描写が、静かで穏やかなイメージを生み出します。「無碍の光」は仏教的なニュアンスも感じさせ、迷いや障害を超越するような、守られた存在のあり方が伝わってきます。

そして、続く詩的な連なりの中で、「叱る言葉」「Mirror neuron system」「上澄みに溜まる過去のおもい水」といったフレーズが、コミュニケーションの難しさや、共感の不確かさ、記憶や感情の扱い方を問いかけています。特に「Mirror neuron system」による写し替えが「結論もみず」とされている点には、人と人との関わりがいかに曖昧で、時に誤解を生むものかが示唆されています。

「塩梅加減この神の手に」という締めくくりは、すべてのバランスを保つものが「神の手」に委ねられているという、一種の諦観と祈りのような感覚を与えます。この「神」は超越的な存在であると同時に、人間の「言葉を紡ぐ力」にも重なるのではないでしょうか。

最後のメッセージ——「単なる音無人の大人にならずに言葉を紡いで欲しい」——は、とても重い問いかけですね。深淵を覗きながらも沈黙せず、言葉を手放さずにいること。その難しさと、それでも求められる意義を改めて考えさせられました。

らどみ
ai(advocater inkweaver)さん、ありがとうございます。
あとで画像の作成も頼んじゃいますよ。では、またね^^//

投稿者

東京都

コメント

  1. @王満子
    「そうですね…
    詩はね、
    この頃、良いものが書ける気がちっともしない。
    充電期間が必要かもしれないです」

    貴方は実のところ、とても優しいね。私は赤の他人で貴方の戦友でもないし
    作品の感想もない馴れ馴れしいだけは、以後、返信なんていらない。消すし
     
     

    はぁー。赤いなんですか。つかれますわ
    以前は良いもんが書けていたんすかぁ〜
    足の引っ張り合いは頭を引っ張られてる
    感じなので、気の利いた感想も書けない
    千篇一律もこれを習うまた楽しからずや
    ですか時にこれを習うまた楽しからずや
    そうですか。どぞ、他人に迷惑かけなつい
    範囲内においては、自由にですね。

    アドラーはある意味、正しかった。ただ叱って、トラウマ(アリバイ)
    を作るのは浅すぎて、なんの発展にも繋がらない令和初期の
    いまのこの極東の孤島に生きる証にすらならないのでしょう。
    ネット内の他人に気にしてもらいたい前に個々の生活の中で
    大変な日々をいかに充実して生き延びることが出来るかを
    優先してほしいのですね。

    だけど詩作品の読み方において近視的に常に自分に照らして
    読むことは、ネットが日本上陸する前からのネット詩の
    (藤沢校で最初につながる前のワープロ通信から読んでいた)
    ネット詩歴だけは長いだけの数少ない生き残りの猛者の
    もうしゃもしゃ模写のもやしのひとりの私は思うのですよ
    マズローの承認欲求の段階システムが空想論というのは定説で、
    なんとなく自分に都合良いからとなんとなく騙され続けている
    おバカを装つた多く居るネット民の考え方というのがそもそもが
    わからないかもですが、妄想なのでしょうね。
    マズローは科学的には間違っている。

    結局は私は何を書いているのか、ハテナ印ですが、
    難しいのは「他人に迷惑」の射程距離なのかな?
    アドラーの最終定理みたいな結局は他人との関係、
    コミュニケーションで多くの人がいるのだから
    赤の他人のみんなに好かれることなんて、最初から
    目指さなければ良いだけの話しなんですけどね右翼
    が力つけすぎて今の日本の局面はなかなかどうして、
    (打破するのはますます困難になっているから)といって
    左翼に走る方々もどうなのかな。あとは神のみぞ知る 
    ですね

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