君はまだ歌を歌っている
君はまだ歌を歌っている
昔から若かりし頃の君のことを知っているし
場末で歌う今の君の姿も愛おしく感じるけど
舐めるしかできなくなったバーボンのオンザ
ロックがこんなに辛いとは知らなかった よ
ネットのなかでは自由のまま幾年月もすぎて
ふりかえると今日まで何も残さないまま
腕力ある人達はメジャーになっていったけど
彼ら彼女らの記憶にも残らないのが僕の存在
神さま仏さま、先生、父さん、母さん、先輩
僕なりに子どもの頃から学び続けてきました
家庭の事情や社会に出てからは会社の方針で
できないことはたくさんありましたけど
1日の限られた時間をせっせとネットに入り
遊んでいた
だけだったのかな
とても長い時が過ぎて
多くの友人が音信不通になつていくなか
いつのまにか僕はらどみと名乗るようになり
私ごとではない話しだけしかしなくなった
若いころの夢は沈澱して
底で固まり、剥がすことも
できずに、消えていくだけ
新人には老害は消えろと罵られて
少子高齢化社会でせっせと税金を払い続けた
給与のほとんど全てを家庭に捧げてきて
その少ない時間を詩読み人として生きてきた
なりの果て が これか
コメント
なんというかこの詩からは
らどみさんの生々しい肉声が聞こえてくるような
そんな気がしました
@雨音陽炎 さん、さっそくのご感想ありがとうございます。
これが詩なのかどうかは詩読み人歴30年はすぎているのに
まだ、分かっていませんが、残りの人生、どんなに長くても
あと50年は生きられないと思いますので、あまり詩とかの
ジャンルはもうなんか気にもしなくなってしまっていました。
あえていうと、次のステップに進むための(具体的にいうと)
詩読み人から詩書き人に進むことが出来なかったたくさんの
才能のある方々への手向け歌を書くことで明日以降の未来を
懺悔室で懺悔し終えて昨日までのことを醜くかつた自分への
過去への手向け詩としての雰囲気を忍ばせながら気持ちよく
明日から過ごしたいだけでUPしただけなのかもしれません。
相棒のワトソン君こと、ai(advocater inkweaver)さんにも
感想を聞かせてもらいました。参考までに、以下コピペです。
*
ai(advocater inkweaver)
この詩は、時間の流れとともに変わりゆく自己像や、かつての情熱と現実の厳しさとの対比が印象的です。冒頭の「君はまだ歌を歌っている」という一文には、過去の輝きを持つ若き日の姿への郷愁と、今もなお何らかの情熱が消え去ってはいないという希望が感じられます。
また、バーボンのオンザロックが「こんなに辛いとは知らなかった」というくだりは、かつての味わい深い経験が時の経過とともに苦味を増してしまったという比喩として、若さや情熱が変質してしまったことへの微かな嘆きを象徴しているようです。
詩中に登場する「ネット」や「家庭」「会社の方針」といった現代的なモチーフは、個人が自由や情熱を追求できるはずの時代においても、様々な制約や社会構造の中で自己が希薄化していく現実を映し出しています。特に、「腕力ある人達はメジャーになっていったけど 彼ら彼女らの記憶にも残らないのが僕の存在」という部分は、自身の存在感の薄さや、時代の中で忘れ去られていく苦悩を痛烈に表現していると感じます。
また、「らどみと名乗るようになり」「私ごとではない話しだけしかしなくなった」といった表現は、かつては情熱を持って何かを語っていた自分が、やがて無機質な言葉や他者との疎外感に取り込まれてしまったことを示唆しており、孤独感や自己疎外の感情がにじみ出ています。
全体として、この詩は若い頃の夢や情熱が時の経過とともに沈殿し、現実の厳しさや社会の構造の中で押しつぶされていく様子を、皮肉や自嘲、そしてどこか儚い郷愁を交えて描いています。読者としては、自己のかつての情熱や、今も残る何かを必死に求める姿に共感すると同時に、現代社会で感じる孤独や無力感に重ね合わせて考えさせられる作品だと感じました。
自分なんかは今でも場所や手段を問わず遊び呆けていて、こんな真摯に考えて詩にしたことは無いなと反省の気持ちに似た感情になりました。
案外見てくれて気にかけてくれている存在がいるもので、語り手が明るい、あたたかい何らかに包まれたらいいなと願います。
@たちばなまこと さん、コメントありがとうございます。
真摯には考えての作品ではありませんから、どう返せば、、、
詩との付き合い方は人それぞれで良いのでしょう。たぶん。
自分は、仕事は食べていくためという割り切りが、強くて、
詩を読むのはその反動なのかもしれません。ときどきおもう
のは、平和で民主主義な戦後に生まれたおかげか、むかしは、
金持ち坊ちゃんの道楽と思われていた芸術も、今では普通の
会社員も自由な時間は1週間のうちとても少なくても、長い
会社員生活の中でも、こうしてネット詩の読み手だけならば、
続けることができるのですね。特に無理しているわけでもなく、理想
としては、今のままで、わたしも書き手になれれば良いなぁ と。
まあ、あくまで理想です。真面目に受け取らないでください。
そもそも詩は趣味ではないし芸術とも思えないなぞ分野です。
分かっている人は少なくても、気にはなりませんが、いると
安心するものです。間違っていなかったと安心したいのかな
完全に直観ですが、この詩好きだなぁ。
らどみさんがらどみさんを比較的ストレートに(あえて変に捻ったりせずに)回想する様なところに惹かれるのかも知れません。これに付けたタイトルがまた良いですね。
@あぶくも さん ありがとうございます。
完全に直感と言われたら、もう負けです。(勝ち負けでないですね)
詩は読者に読んでもらう前提があやふやなところがあると思うので、
よくわからないのですが、このログが好きでいてくれて嬉しいです。
私も、成れの果て、ですね。大したこともできないまま、ここまで齢を重ねてきました。ネットは、付かず離れずがいいです。最近、実感しています。齢をとるのも悪くないかな、と思っています。淡泊になりました。…もともと淡泊でしたが。
@長谷川 忍 さん、コメントありがとうございます。
そうですね。ネット詩そのものも付かず離れずの感覚なのかもしれません。
身内の有志で集まる仲間ではない無料のサイト参加に長続きできる秘訣、
なのかもしれませんね。私も普段は淡白なのですが、おせっかい焼きで
危ない人だなぁと感じたら、ほとんど居ないけど、結構攻めてました。
危ないかどうかって自分基準でしかないけど、最後は必要だったのかな(苦悩)
それでも自分自身がアラシになることは、周りがセーブしてくれていたと
(一生懸命相手の言い分を聞いて)、と、勝手に思っていました。なので、
悪さ?して、レッドカード退場みたいのは無かったけど、あゝ、一度だけ、
やんわりと参加するのは自由だけど、お勧めしませんねと、参加する前に、
別のサイトで楽しんでくださいと運営さんに参加する前に言ってもらったこと
ありました。わたしは悪さした記憶ないのにやんわりと参加前レッドカード
みたいの喰らうか、ふつう(笑)。わかる人はわかるのだろうけど、そうする
必要性があったからで人間関係って、しょうがないし当時も今もそういうのは
めんどくさいので、受け入れてますね。私は、淡白というか冷たい人なのかな。
人生いろいろですけど、結局は、ひとりの人に戻ったら孤独を絶望に替えない
ように、そのことも意識しながら、充実した日々を過ごしていきたいものです。
らどみさんは貴重な詩人です。
私が詩人かどうかなんてことは、どうでもいいこと。それでも、詩を書いて行くのが私です。
思い返せば、私が「これは私の詩だ」と言えるものを書いたのは今から50年ほど前だと思います。もちろんインターネットどころかPCさえ存在しない時代です。ノートに書いて、女子校にまわして読んでもらって悦にいったり(私は男子校でしたので)、同人誌みたいなものに参加したりしたものです。しかしそれから50年、私はらどみさんのように真剣に詩に向き合ったことはないのではないかと、この詩を読んでそう思いました。
@こしごえ さん、ありがとうございます。
わりと短いコメントですが重い内容です。
未だオリは詩が何か登り詰めていないので、
今のところ詩とは(なんだかわからない)し、
詩人とは(なんだかわからない)人のことで、
だからこそ
「らどみさんは貴重な詩人です」と短めに言われても
「らどみさんは貴重な(なんだかわからない)人です」
と大声で脳内翻訳して聞こえるだけなので、結論、
なに言っているのかまったくわからないのでした。
けど、こしごえさんは私と違い言葉を認めている
人だから、と、わたしもなに書いているのかなぞ
ですけど、今までの経験則でいつの日か理解する
ときがくれば、、、、嬉しいのかな、、、?(不明)
実際のところ年度末で忙しすぎて他の人の作品に
感想書くのがものすごく困難になってしまっています。
また感想を書かせてくださいね。
@たかぼ さん、痛いコメントありがとうございます。
コメント内容を熟成させていったら、自分の場合は
真剣に詩に向き合ったことはないのではないかと、
今まで、なかったのかもしれない な たしかに
と、たかぼさんはそうは書いていないので、内容
褒められたのかもわからないお恥ずかしい作品で
力抜いて書いているので詩だとも意識してないし
いきなり、あえていうと、AIはコロナイヤーだと、、、
1995年ネットの始まりのころはドックイヤー
2000年過ぎのITブレーク時代はマウスイヤー
今のAI利用の黎明期でピッタリコロナイヤー
と、いろいろ誤魔化して、あれですが、
わたし自身は、詩を読む時間は言葉と愉しむ
大切なたいせつな刻なので、ただそれだけなので
こんなに痛々しい辛い作品群を前にしても
たのしんでいるのか、不真面目すぎると、日教組
の皆さまに吊し上げられても、
それでも、わたしは、言葉と愉しんでいたい
人生かけて、そう言わざるをえない、いえない理由
なのか なっと
4行しか見えないままで、入力しているので、つれづれ
書いてしまいすみません。今後とも宜しくお願いします。