ドクター

ドクター

わたし医者って大嫌い
神様にでもなったかのようだわ
誰に人の生き死にを
左右する権利があるのだろう
医者が治すような顔をするから
人は空しい期待をしてしまう
野にいる獣たちが
死にかけているならば
ただ生きようとあがくだけで
何に期待するだろうか

お医者さんはね
あなたを助けようとするんだ
だけどね生きる生きれないを決めるのは
彼らではない
実のところ神様でもないんだ
神様なんて手も足もないからメスも持てない
ましてや運命なんて神の技ではない
生きる生きれないを決めるのは
結局はあなたなんだよ
運命はあなた個人の持ち物だ
すべての生き物
それだけだ
人間にはただ他人のことに
一生懸命になってくれるおせっかいがいるんだよ

でもねたしかに医者きどりはいる
神でもなりたいのか
どんなものも
手をもがれ
足をもがれ
首をすげ替えられば死ぬ

ほんとうの医者がね
神様でもない証拠に
彼らも空しくなるんだよ
あなたと同じだ
真夜中の闇の中で
彼らも泣くんだ

投稿者

岩手県

コメント

  1. 人々はそのことを忘れているし、医者自身も忘れていることなのですが、実は医者も患者である、という当たり前のことを。患者とは人類すべてのことを指すのであって、医者も当然その中に含まれているのです。患者で主婦、患者で学生、患者で会社員、患者で医者というぐあいに。だから患者の事を考えない医者っていうのは自己矛盾を起こしているのです。

  2. 実は1連目は本当で、もっとキツイというかひどいくらいで独特な言葉で叫びだったのですが、その独特さはそれを発した彼女のオリジナルだなと思ったのでここでは控えました。ドクターたかぼさんもよぎりましたし。
    まぁその辛辣な叫びがここで書きたいと思ったことじゃなかったのでソフトにしても問題はない。心に残ったので書きたくはなったけど彼女のものだ。

    医者も患者、たしかにその通りですね。それをお医者さんも自己矛盾なきよう考えてほしいのと、患者も同じように考えたい。

    話は変わりますが、政治もそうですね。同じように国民で有権者。自ら国民として有権者として、己に票を入れたいと思うのか胸にたしかめて行動してもらいたいものです。

    また思い付きで話が変わりますが、僕はどうもよく見る「患者さん」というのにとても違和感がある。患者さんのために。というのも意味はわかりますが、そもそも患者って誰かの状態なのだからなぁ。

  3. 「患者」が病んでいる状態をあらわしているというのは全くその通りで、それに「様」をつけるのは間違っていますよね。どうしても付けたいときは様をカジュアルにした「さん」を仕方なく私は付けます。「患者様の佐藤様」みたいな言い方はですから間違いであって「患者の佐藤様」なら正しいってことです。患者様のような、そういう変な日本語を誰かが言い出して広まったのです。医療の世界にもそういう変な日本語がいろいろあります。看護師が言う「与薬」も変です。医師は「投薬」と言いますが、「患者さんに薬を投げ与えるとは失礼な」と考えた看護師界では「患者さんに薬を与える」という言い方にしようと勝手に変更したのですが、実はその方が失礼。「投げる」には下から上に与えるという意味があり、「与える」は上から下に与えるという意味があるので、投薬の方がへりくだった言い方で、与薬は横柄な言い方なのです。

  4. なるほど医療の現場でも疑問ではあるのですな。
    たしかに患者様はなおさらなんだか病気万歳みたいで落ち着かない。

    患者というのは好まざる属性のはずで、貧者なども同じです(もちろん患者と貧者が同義だと言うのではありません)
    貧者様、貧者さんは言わないが患者には”さん”、へたすると”様”か。
    「お客様はなんたらだ」と少し混同してしまったのかもしれませんね。まぁお客様だし。

    僕は日本語が変化していくのは絶賛肯定派なんですよ。もうヤバイくらいに肯定派。
    でも人間関係において変わってはいけない気持ちもあるように思います。その気持ちから言葉が生まれるから。

    患者の佐藤様、まったくそうですね。たまたま佐藤さんは患っているかもしれないが、佐藤さん=患者ではない。患者というその時の属性がその人に置き換わらないで欲しいなあと思います。患者はみな同じ患者ではなく、それぞれ全くちがう顔を持っていますから。
    「投与」、勉強になりました。

  5. 「患者は好まざる属性」全くその通りでありがとうございます。お客様と混同しているってのも納得です。日本語が変化していくのは、私は肯定派ではなく、仕方がなく受け入れる派です。仕方がなく受け入れるためには時間が必要です。ネット社会ではしばしばその変化が急激で受け入れる時間がありません。また王さんがおっしゃるように「人間関係が変わってしまう」ような間違った変化は嫌いです。

  6. ましてや運命なんて神の技ではない
    生きる生きれないを決めるのは
    結局はあなたなんだよ
    運命はあなた個人の持ち物だ

    というところに、ほっとする私が居ます。ただ、私は(も?)多様性のある世界を望みます。そして、自恃をこの詩から感じます。

    ほんとうの医者がね
    神様でもない証拠に
    彼らも空しくなるんだよ
    あなたと同じだ
    真夜中の闇の中で
    彼らも泣くんだ

    (神についてはすこし思うところもありますが、ここでは言わないことにします)
    この詩全体を通してからの最終連に感動します。最終連で、スパッ!、と私のこころに着地!

  7. 僕は完全なる無神論者です。死後の世界も信じていない。ただファンタジーとしての死後しか。
    生も死もその分岐も個人の持ち物。

    この詩はやたら長くなってしまったのを切りました。散漫になりすぎたので。患者のこと、今のコロナ禍、いろいろ思っているときに勝手な政局、みんな何を言っているのだろうと感じてね。

    それであまりに長いので半分の半分にしたというとこです。
    利己と利他、そしてこの国と神様にかんぱいってとこです。

  8. 人間にはただ他人のことに
    一生懸命になってくれるおせっかいがいるんだよ

    コロナ禍で、医療の現場も大変なことになっていますね。…結局、こういう、ぎりぎりの状況になった時って、最後はそのひとの人間性なんですね。自分がどういう人間なのか、接してくれる方がどういう人間なのか。

  9. 医療関係者、とどうしても一つにくくってはいけないなと思いながらも、医療関係者の皆様の苦労には頭が下がります。医療関係でなくてもコロナで苦労されている方々も多いでしょう。それを思いたい。
    やはり人間なのですよね。医者、患者、従事者、さまざまな立場、それぞれが人間で、それを思う人間性が問われていますね。

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