アスリートは伝えたがっている

日本経済一流、政治は三流といわれた時代は既に昔の話だけど、
理解できるかスポーツの世界から個人の力で日本を支えてきた。
野茂、イチロー、澤、羽生、そして、コロナの今は大谷翔平だ。
彼を比較するときベーブルースの名前が出るけれど240年間の
輝かしい歴史あるUSAの真ん中を少しこえた頃のデータなんだ。
日本にトレースしたら、武士全盛時代より少し前の小倉百人一首
がメインとしている時代だ。夏目雅子のご主人は、野球選手には
小説が書けないと今なら炎上するようなことを公言していたけど、
ネット詩人達が社会に影響を与えていないと思われているように、
この30年間で、日本市民に勇気を与えたのは小説家ではなくて、
荷が重たくて大変なことなのだけれど、一流のアスリートだった。

アスリートは伝えたがっている

しかし、野球選手には、小説が書けないというのならば、真実に
近づいているネット民達が、一流のアスリート達のアドボケート
として、ちゃんと後世に、或いは同時代に伝えなくてはならない。

義務があるとおもうんだ。きみたちには

投稿者

東京都

コメント

  1. コメントではないですがこれが「画詩」でなく「詩」ならば「編集」で訂正できると思いますので一応。

  2. たかぼさん、ありがとうございます。

  3. アスリートは、彼ら、彼女らの姿が、そのまま「詩」なのだと思います。それを言葉で捉えるのは、たしかに詩人の役目であるかもしれません。伝える、というのは大切なことですね。

  4.  私は今だに電車通勤してる普通のお疲れモードの
    おっさん会社員なので元気な若者に憧れているだけ
    なのかもしれませんが、元気な若者 = アスリート
    ではないことぐらいは知っていて、それでも、政治
    じゃなかったアスリートの話しをしたいのは、生きる
    という生きているという自分に日々、何かを見つけたい
    詩の住処を見つけたいおっさんなのです。

     もちろん、アスリートもピンキリですが、日毎日毎の
    永遠に繰り返される食事管理、質と量の睡眠管理、風邪
    薬も飲めない薬物反応への対策と練習以外に行うことが
    多すぎて24時間、365日アスリートを意識しないと
    勝てないどころか大きな大会にも出られないのだから、
    ダンサーもそうだろうけれど、彼らそのものがポエムだ
    としてしまうと、詩人は必ずしも、ポエムとして24時間
    生きていなくていいのだから、なんだかかえってアスリートの皆様が詩人なのではと錯覚してしまう。

     詩を書かない詩人なんて詩人ではないと私は思っているか
    らアスリートは詩人ではないと思う。だけど、アスリートの
    発する言葉には、気持ちいいとか最高とかの普通の言葉でも
    ヒーローインタビューでも、ツイッターのひと言でも、共鳴
    してしまう力があって、その影響は今後ますます強くなって
    しまうのかもしれません。

     結果、言葉に対する詩人の領域は、
    またまた狭まるのでしょうか。

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