時美琉体
育って来た〈時〉に餌をやるのは、アヒルたちにパンくずを投げるように、暗い室内に時折〈きしょく〉の薔薇である。台湾の揺れる山や藍色の紋様の器に。黒豚の油分が浮いている。〈時〉を坐らせて、病の一部を張り出した庇の一角に吊り下げて海を見る。そのことによって多分にわたしの後悔は蔓で編まれた民芸的籠の一部として、この部屋のあちこちに吊られている。その山の匂いに白旗をあげて下りつつあるこの鉄砲隊の男が眼をぎろつかせて、神棚に一礼して神のふところでをして今夜出発するのですと挨拶する。記憶しているのは〈時〉の一部でしかないので。やはり戦争状態のこの山間部の泉に仕掛けてある〈やな〉に魚がはいっている夜。わたしの〈美〉に関しての会話が谷川の音にかき消されている。アヒルたちが小屋に隠れて眠っている間に兵士たちが山道を登り続けているのだと。ぎしぎしと背中の背嚢がなるので。うすく透明なこざかなの群れが岩影にかくれて鉄砲に弾を込めている。羊の刻に雲を鋳造する冶金の職人たちの顔。大金床にぎんぎんとわたしは眼を開いてその技を見る。風袋というものはかずかずの神経的自信のあらわれで崩壊するのだと。いまでは釣り人さえ〈ココ〉という不可思議の経験で未来のわたしを育てるのだと言う。餌をなげてやる。ただもう闇の中へと。
コメント
後悔が籠になって吊られているのが印象的で、自分も今度試してみようと思いました。
@たちばなまこと
さんへ、最近はまた少し、無意識に書く、ことの変形的自由、に関して、面白く感じています。さらに、みがきをかけることが、可能であるのか、そのあたりに、希望を持ちたいのですが、さて・・・。