昔の友だち
線を引いていたら
昔の友だちがきて
一緒に手伝ってくれた
昔の友だちは
昔と同じように
慣れた手つきで
丁寧に線を引いていった
相変わらず上手いね
と言うと
はにかんで笑う
特に仲が良かったわけでも
ないけれど
線を引く姿や
その笑顔に憧れていた
線を引き終わる頃には
すっかり日が暮れていて
引いた線をひとつずつ
記念に交換した
そういえば昔の友だちと
夕日を見るのは
初めての気がする
自分だけたったひとりぼっち
年をとってしまった
線を引いていたら
昔の友だちがきて
一緒に手伝ってくれた
昔の友だちは
昔と同じように
慣れた手つきで
丁寧に線を引いていった
相変わらず上手いね
と言うと
はにかんで笑う
特に仲が良かったわけでも
ないけれど
線を引く姿や
その笑顔に憧れていた
線を引き終わる頃には
すっかり日が暮れていて
引いた線をひとつずつ
記念に交換した
そういえば昔の友だちと
夕日を見るのは
初めての気がする
自分だけたったひとりぼっち
年をとってしまった
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コメント
たもつさん、もしくは、この詩の話者は、そういう年になったのですねぇ。
特に仲が良かったわけでも
ないけれど
今でも、その昔の友だちは、大切な友だちなのでしょう。そういう友だちが 居た ことは 貴重ですね。
『線を引く。』・・・うまいですね。
なんとなく。
わかります。
ありがとうございます。
もちろん「線を引く」という行為をそのものとして読んでもいいし、「ある仕事を一緒におこなった」と受け取ってもいいと思いました。前者とすればたもつさんらしいエキセントリックな詩として面白いし、後者とすれば日常の中に起きた印象的な出来事になるでしょう。
線を引く行為にさまざまな比喩があるようで非常におもしろかったです。超えてはいけない様々な境界線。あの世にいった人たちもさまざま。
長年生きていると見えない線引きがいろいろあり。。だけど昔の友だちってそれをいとも簡単にぴょーんと超えてきますよね。周りにいる人たちは誰も飛び越えてこないのに。その意表を突かれた感覚に、大人になっていくつも線を引いていることに対してふと一石を投じられたような感覚です。
なんだか、寺山修司の田園に死すを
ちょっとだけ思い出してました^^;
昔の友達、小学生くらいの頃の、でしょうかね
大人になった今、思い出の中の友達は
ずっとあの頃の、小学生のまま
私も、もうほとんど記憶にありませんけど
でも時々昔の、友達というか幼馴染というか
アイツ、いい奴だったなぁ
今どうしてるんだろ、などと思ってみることが
あったりします(^^)
@こしごえ
こしごえさん、コメントありがとうございます。時々、昔の友だちを思い出す時、向こうも私のこと、思い出す時があるのかな、なんて。忘れられることを寂しいと思うことはないのですが、自分がどのように記憶にストックされているか、なんか興味があります。
@北杜アトム
線を引くの、苦手でした。線に限らず、不器用で、絵も描けなかったし、物も作れなかったし、、、
皆、凄いな、なんて憧れてました。
@たかぼ
すこし、ふわふわとした歪んだ感じを出したかったので、ふわっ、と線を引く、に。記憶の何か曖昧なところにロープをおろすような。
@ザイチ
ザイチさん、コメントありがとうございます。
そうですね、線を引くって、特別な意味がありますね。線は人によって引かれるのに、その線によって人は翻弄されて。線の無い世界はどんな感じなんだろう、とか。
@雨音陽炎
雨音陽炎さん、コメントありがとうございます。寺山修司、いいですよね、といっても、私はかなりライトなファンですが。
お互い年をとっているのに、いつも記憶の友だちだけ昔のまま、、、
特に自分は中学校にあがるタイミングで引っ越してしまい、同窓会も特になかったので。