時覚体
遠い昔って、どれくらい昔? わたしがまだ生まれ出ていない頃のこと、それはすべて遠い昔です。だから宇宙誕生の頃も、昭和二十九年も同じ遠さなのです。大熊猫が雪の中でさまようように。堅い竹の茎を食いちぎるように。今までの経験のすべては、ハンガーストライキでした。すでに餓死したわたしを掬いあげて、氷とアルコールで満たされた試験管の中へ落とします。それは朝日に照らされて正直、美しいのです。がばがばと水を飲み、すいすいとこの湖水をわたるのです。正気の沙汰とも思えない。香水をふくませたハンケチが湖に流されて行くので、あなたの裸身へと憧憬し、シナモンのケーキに猿たちのよだれがたらたらと。その昔とは、この昔です。竹の藪にまぎれこんだ一羽のしらとりが、眼をほそめて鳴く。美しい肉体をこの手で愛撫する。その昔とはあの昔です。あの大陸が流れて行く時間について講義するわたしの精神が、酔いとなまけぐせで、君に答えなさいと指さすのです。そうしたら曇っていた空から雪がふりだした。あなたがまだ生まれていない頃のことです。愛し合うわたしと君は函館の水族館で一匹のシロイルカであった。水槽の中で君は裸身となり、そのまま海からの招きを聞くのである。海水が濾過されて水槽の中へと流れこんでいる。それから君はその愛らしい眼で〈過去のことは忘れましょう〉と言った。いつまでも引きずっていては二人は幸せにはなれないのですからと。寛永年間、米が不作であった時には、シロイルカは横須賀港の沖で、流れて来る木の幹に、〈愛している〉と書いたのである。それが真実であるからには、薄暗い水槽の中でいまだにこのわたしが君を思うことは、すでにオングストロームである。君自身が荒い波間に身をさらしているのであれば、この水槽の大熊猫もよほど悲しいのであろう。ミズダコを口に入れては、吐き出すのである。遠い未来とはどのくらいの未来? それはわたしがあなたの身を東の海に流してからのこと。経験というしきたりで君はもうすぐおとなになる。そのときには。そのときには。白い鯨が眠りつつある。
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