
086
溜息を吐く
溜めた息をゆっくりと吐く
肩の力を抜いて
眉間を弛ませてみる
意識の枠を広げて
頬を緩めてみる
暮らしの端っこに腰かけて
できるだけ遠くを眺める
花と人々の向こう
雲と空のもっと向こう
空
ひとときの空っぽを
自分の中に見つけたら
ゆっくりと立ち上がり
ゆっくりと歩き出す
たとえば
急ぎ過ぎてしまった時
求め過ぎてしまった時
わたしはいつもここに来る
森の入口のような
街の死角のような
虹の起点のような
この場所で
ただの景色に成り果てるために
コメント
景色(写真)と詩が一体となり解け合っていますね。^^
刺さるなあ、これは。
頭に浮かんだことを、リアルタイムで書き込みするので、何の脈絡もないので、適当に流してください。
例えばさ、だって、人って、いつか死ぬじゃないですか。死んだら終わりじゃないですか。それでも人って、痕跡を残したがるじゃないですか。そういえば、このポエ会で何も残さない、みたいな詩を長谷川忍さんが書いてたな。虹なんか、はっきりと綺麗に見える時もあるけれど、いずれ消えるじゃないですか。街はあんなににぎやなかなのに、誰もいない、誰にも気づかれない死角があって。ものごとが移ろいゆくのは寂しくて、それを寂しいと思う気持ちがそこにあること自体が、やっぱり人って切ない存在で。けれど、何一つとして、ひと所に留まるものはなくて、それは自然の摂理で、風景の一部になって、いずれ風景からいなくなって、そして、その風景を見ていた人もいなくなって、記録にも記憶にも残らなくなって。
ただの景色に成り果てるために
いいなあ、この最終行。前の描写が、すべて、ここに掛かってきますね。
私の、憧れの境地でもあります。
Nonyaさんの詩ってリズムがあるんですよね。それがとても心地よいのです。最後にぐっとくる着地なのも、毎回ツボです。溜息を吐く~から景色になり果てるための諸々、大人になって我を捨てる作業のようでとっても深く感じ入りました。ひとときの空っぽを自分の中に見つけたら動き出せるところなんか、なるほどそうだよねとか思いながら。。