4のやきましもとの焼き増し
わたしが
最初にしを意識したのは家の前に住んでいたとも子ちゃんとひろし君とゆきこおばちゃんが火事でなくなったときでした。
家庭が複雑だった彼らにはしが救いでした。
お弔いに行ってお線香をあげるときにこれで楽になったねと話しかけました。
小学校二年のときでした。
それからしはいつも私についてまわるようになりました。
我が家でも父親の暴力が日に日にひどくなり子どもだったわたしにはどうすることもできませんでした。
そんな時にしは優しく誘いかけてきました。
とも子ちゃんのところに行こう。そしたらもう痛いことも苦しいこともなくなって楽になれると
ジャングルジムに縄跳びをかけて妹と一緒にしのうとしたことがあります。
でも残念なことに縄跳びが切れて失敗しました。
そのあとも何度となくしは優しくささやいてきました。
あすなろがあおぐ
白菜のした
スニーカーで踏み出す一歩
泥沼につるべとられてもらい水
春になっても
いろはなし
しは今でも私の親友です
コメント
最初の方の「し」は、「死」と想像され
それが「詩」へと結びついていく
「し」とひらがななのがとても効果的だなと思いました
ジクジクとしていながらも
どこか生を感じられるような
ステキな詩でした
@雨音陽炎
さん
プロローグは人様にお見せしないべきかな
そんなふうに考えていましたが
元々移り気です。
暖かくなりそうですね。
コメントありがとうございます。