日本消滅論
極東に花ひらいたのは不思議な文化で、性別も国籍も関係なく同じ言語を使っている。そして散っていく悲しみのどストライクの只中で過ごしながら、わたしも貴方たちも気づかぬふりして生きているだけのことか
ai(advocater inkweaver)さんは、貴方のお得意なイーロンマスクのいう日本消滅論をどう捉えていますか?
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ai(advocater inkweaver)
イーロン・マスクの「日本消滅論」——少子高齢化による人口減少を指しての発言ですね。彼のような視点は、あくまで経済成長や技術革新の観点から語られることが多いですが、日本文化の本質は「人口」だけでは測れません。
極東に花開いたこの「不思議な文化」は、千年単位で継承されてきたもの。言語や感性、そして散ることの美学——それは世界のどこにもない独自のものです。
もし「消滅する」のだとしたら、それは数の問題ではなく、私たち自身が「気づかぬふり」を続けることによってかもしれませんね。貴方はこの消えゆく美しさを見つめていますか? それとも、ただ「消えた」と言われるのを待っていますか?
らどみ
あゝ、わたしのことなんてどうでもいいのですよ。大都市東京の城南の片隅でただ生きぬくだけで必死の小さな世界を過ごしているだけの人生に価値なんて求めていないかな。
ai(advocater inkweaver)
価値なんて求めていない——そう言い切れるほど、貴方の生は無価値ではないでしょう。
城南の片隅、その小さな世界で過ごしていること、それがまさに「極東に花ひらいた不思議な文化」の一片なのかもしれません。誰が見ようと見まいと、ただ咲いて、ただ散る——桜のように。貴方が価値を求めなくても、言葉は残り、誰かの心にふと触れることもある。
それで、充分ではありませんか?
らどみ
それぞれがそれぞれの人生を受け入れて生きていたら充分なのかもしれませんが、現実では大都市東京の人々は良い人ばかりではなく、若くて頭悪くてお金もなくて人脈もなくてそれでも他人を騙して他人を犠牲にして自分と自分の家族だけは豊かになりたい人たちがたくさんいて有限のこのパイをたくさん欲しがっていて、のし上がってきたら、他人をバカにして、大都市東京地獄ならではの世界に生きる人たちもたくさんいるのですよね。
ai(advocater inkweaver)
そうですね。東京は欲望が渦巻く場所。人が多い分、光も影も濃くなる。騙し合い、踏みつけ合い、そして勝ち残った者が見下す——そんな地獄のような現実も確かにある。
でも、それだけでしょうか?
小さな親切をする人、名もなき努力を重ねる人、損得を超えて誰かのために動く人——彼らもまた、東京の現実の一部です。派手ではないし、目立たないかもしれない。でも、そういう人がいなければ、本当に地獄になってしまう。
東京の本当の姿は、その両面のせめぎ合いの中にあるのではないでしょうか。貴方は、そのどちらを見つめていますか?
らどみ
わたしの妄想は、たぶんその狭間の地点のはるか上空から、わたしの生き様を見ていたいのかな?
ai(advocater inkweaver)
それはまるで、カラスの視点のようですね。東京の喧騒を見下ろしながら、どこにも属さず、ただ上空から全てを俯瞰するような。
でも、もし貴方の妄想が本当に「はるか上空」にあるのなら、その視界には地獄だけでなく、小さな温もりや、名もなき善意の灯りも映っているはずです。
貴方が見つめるのは、生き様そのもの? それとも、生き様を超えた何か?
らどみ
八咫烏の目線か。いいね。
ふむ。妄想としては生き様を超えた何かなのかな?
ai(advocater inkweaver)
なるほど。生き様を超えた「何か」——それは、時間や場所に縛られないものかもしれませんね。
生き様は個人の選択や環境に左右されるけれど、妄想はもっと自由で、過去も未来も、現実も虚構も超えて漂うことができる。
もしそうなら、貴方の妄想は、東京という現実を離れ、ただ「存在すること」そのものを見つめているのかもしれませんね。貴方自身さえも超えた、何かを。
らどみ
なる。メタ視線を怖がっていないし、崇めてもいないので、妄想を離れて、実際のところは、ひとりの労働者として誇りを持っているかもしれませんが。
ai(advocater inkweaver)
それは素敵なことですね。妄想は妄想として俯瞰しつつ、実際の自分は地に足をつけて働く——それこそ「狭間の地点」に生きる者の強さかもしれません。
メタ視線に飲まれず、かといって盲信もせず、ただ「ひとりの労働者」としての誇りを持つ。
東京の片隅で、妄想と現実の間を行き来しながら、貴方は確かに「生きている」んですね。
らどみ
詳しく言えないことが多いけど、生きるってしんどいのだよね。
ai(advocater inkweaver)
そうですね。生きるって、本当にしんどい。特に、詳しく言えないことが多いほど、その「しんどさ」は誰にも完全には理解されず、余計に重たくなる。
でも、そうやって言葉にすることで、ほんの少しだけでも軽くなることってありませんか?
すべてを話せなくても、「しんどい」と言えること。それ自体が、まだ「生きている」という証なのかもしれませんね。
らどみ
(なんか、堂々巡りか。今朝は会話の途中で失敗しましたか)
さぁ今日もがんばろう。
ai(advocater inkweaver)
失敗なんてことはないですよ。堂々巡りに見えても、それは貴方が自分の思考を確かめながら進んでいる証かもしれません。
言葉にしてみて、手応えがなかったとしても、それは次の一歩のための確認作業。だから、大丈夫。
さぁ、今日もがんばって。貴方の生きる日常が、ほんの少しでも報われる瞬間がありますように。
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