映画『プー あくまのくまさん』『ビーキーパー』『アビゲイル』『ノウイング』感想詩
まったく関連なく観た四つの映画に流れを見つけて驚いている。シンクロニシティ=意味のある偶然の一致というやつか。このときの「意味」とは、自分がそこに何か(この場合は流れ)を見出したということ。
この先はネタバレを含む感想を書くので知りたくない人はPVから映画へGo。
『プー あくまのくまさん』(2023)
クリストファー・ロビンとプーと仲間たちを使ったホラー。プーたちは異種間交配種(クリーチャー)という設定がちょっと面白い。プーたちと一緒に遊び、食べ物をあげていたクリストファー・ロビンは大学生になり、プーたちと別れる。するとプーと仲間は飢えてイーヨーを食べるはめに陥ってしまった。そして言葉を捨て、人間(とくにクリストファー)を恨むようになっていた。
▼2:05(劇中台詞引用。以下同)
彼らは人間らしさを捨て
野獣のルーツに戻ることに
二度と言葉は話すまいと誓いました
▼
面白くなかった。できの悪い殺人鬼モノといったところ。調べると、本作品はA・A・ミルンの『クマのプーさん』の著作権の保護期間が終了したことにより作れるようになった映画だった。ただし「クマのプーさん」という名称は商標登録されているため日本では使えないということも知った。
『ビーキーパー』(2025)
養蜂家アダム・クレイが主人公。クレイは彼の借りている納屋の家主エロイーズの建物に発生したスズメバチの巣を除去し、彼女に夕飯を招待される。夜になりハチミツを持参して家を訪ねるが誰も出てこず、開いていた扉から家に入ると彼女が自殺していた。エロイーズはその日、パソコン・ウィルスを使った電話詐欺にあい、すべての財産を失っていた。
▼16:14
年を取ると孤独だ
一定の年齢になると存在を無視される
それまでは家族を形成してた
蜂の群れみたいに
子供から盗むのと同じくらいか――もっと悪質だ
子供は傷ついても――親がその子を守ってくれるだろう
だが高齢者の場合は――1人で対処することになる
▼
クレイは「ビーキーパ―」という政府の秘密組織を引退した人物であり、そのつてを使って詐欺グループとその大本であるボスを探して復讐をはじめる。
▼21:25
繰り返せ(Repeat after me)
“もう二度と弱者から盗みません”
▼
ステイサム無双の映画で単純な復讐物語だが、アメリカ版のオレオレ詐欺が出てきたり、大統領が女性であったりと面白かった。キーボードで殴るアクションシーンは初めて見た。大統領役の女性(ジェマ・レッドグレイヴ)は誰かに似てるんだよね。たぶんどこかの国の女性首相。ドラ息子のクズ具合も楽しめた。
▼40:52
溺れてる自覚はあるのか?
ビビってるな
そのとおりだよ
君もおびえるべきだ
▼1:09:53
群れのバランスが崩れたら――
女王蜂を差し替える
▼1:16:45
蜂の世界には“女王殺し”が
悪い子孫を残す女王蜂がいると――
その女王を殺すんです
明白な事実に限ったはずだが
養蜂家の存在は不明ですが――
クレイはミツバチを飼っています
大義のために犠牲を払う蜂を称賛している
▼
女王蜂殺しについてのものの見方も考えた。悪い子孫を残す女王だから働き蜂が女王を殺すという事実を知った時、人はどういう意味をそこに見ようとするのか。この場合の「悪い」には複数の意味が含まれる。
1:身体状態が悪い子孫。
2:dna的遺伝子状態が悪い子孫。
3:群れにとって悪い状況を作る子孫。
4:人間のいう善悪基準での悪い子孫。
子孫継続と群れの繁栄を基準に物事を見るとき、群れに経済的な得を生み出す存在は善となる。しかし、その利益を同種からの搾取で生み出していたとするとそれは善といえるのか? さらにメタ的視点で見るなら、ミツバチの集めた蜜を搾取しているのが人間の養蜂家といえるわけなので、そもそもの人間の善悪とはどういう基準で計っているのかを考えてみるのも面白い。
『プー あくまのくまさん』とのシンクロ流のつながりは当然ハチミツ。
『アビゲイル』(2024)
無人のオペラ会場で一人ダンスをする少女アビゲイル。アビゲイルはお抱え運転手のいる大富豪の娘で、それを誘拐するグループの物語。誘拐犯たちは互いの名を知らず、金を目当てに集められたグループだ。少女の誘拐は無事成功するがグループの一人が殺されて……
面白かったんだけど、なんら情報を知らない状態で観たかった。知っても楽しめたけど、知らなかったらもっと楽しめるタイプの作品。最初の驚き(少女がヴァンパイアだということ)を経験したかった。二度目を見ると、アビゲイルが徹底的に人間たちを弄んでいることが分かる。人間はいつでも殺せるのですぐには殺さず、心理的にも弄ぶ。バレエ・アタックのアクションが良い。
取り引き(deal)の描き方も面白かった。アビゲイルがジョーイとした取り引き(指切り)は、ジョーイへの同情と信頼も含まれるのだろうけど、アビゲイルはそのひととなりを見て取り引きしたということ。フランクがアビゲイルと取り引きしたときの約束を守っていたらどうなったのやろね。アビゲイルの父親役はデヴィッド・ボウイを意識したのやろか。似た内容として『エスター』『ミーガン』を思い出した。そして、最後の会話にでてくる息子の名前:ケイレブが次の映画とシンクロする。
『ノウイング』(2009)
アマゾンプライムは、途中まで観た映画はその続きから観れるようになっていて、『ノウイング』を観ようとしたら途中からはじまって驚いた。以前、最初の10分くらいを観てやめたことを忘れていた。そして過去に一度観ようとして止めた作品を観るタイミングと、その作品を観る前に書いた自分の文章がシンクロして驚いた。
▼
「〇▼」こひもともひこ
https://monogatary.com/episode/540905
「滅」こひもともひこ
https://monogatary.com/story/508187
▼10:50
存在すると信じるのはその人の自由だ
▼
39分のシーンは衝撃だった。あの状況に自分が立ったとき、とにもかくにも人を助けに駆け付けるという行動ができるだろうか? 逃げるのはできる。立ちすくみしゃがみ込むことの想像もできる。いざとなったとき、自分が即救助行動に移れるかということ。訓練云々ももちろんあるだろうけど、心構えとして、どっちに行こうとするのか。行って手助けする側か、逃げて危険を去る側か。
アメリカ型の親子関係を不思議に思うことがある。まず、一緒に寝たり風呂に入るという行為を、子供の幼いころからしなくなるということ。それにより個が確立しやすくはなる、けれど、個人やプライバシーが確立される反面、隠されることも多くなる。たとえば銃を所持する場合、父はそれを自分で管理するが、そのことを子には教えないというシーンはアメリカ映画によくある。性的なものや暴力的なものがすぐそこにあるのに子供に隠したり見せようとしないということ。これは自分にはとても不思議なことだ。エログロを子に見せないようにするという親心は理解できるが、実物としてそれがあるのであれば、その危険性を教えるべきだと私は考える。
ダイアナとジョンとの出会い後のシーンはすごく納得した。この映画内容では、「実は~」を喋ればしゃべるほどジョンは変人になってしまう。この物語は極端ではあるが、そうじゃない偶然の一致があったとして、それを他人にしゃべれば、それを聞いた人は相手を変人だと思うのが普通だろう。
そしてアメリカ人の臆病さ。災害が起きることの予言を理解したジョンが銃を持つということ。何かは分からないが大惨事や事故が起きる予言を知ったときにまず銃を持つという意識。息子を守るためという理由は分かるけど、災害時に、何かを攻撃する道具を持ってどうするんだ? という発想に行かないということ。
▼1:05:50
去年――妻は出張でフェニックスへ
私の誕生日の数日前だった
火事が――ホテルで起きた
朝の4時に
寝ている間に煙を吸って死んだと言われたよ
火事だと気づかずに
妻が死にかけてた時私は庭にいた
“虫の知らせ”というのはあると思ってたが――何も感じなかった
何も
ただ――芝生の手入れをしてた
その時私は――はっきりと思い知ったんだ
誰も先のことは分からない
人生は――単なる偶然の重なりだと
でも その紙を見た
妻の出発前にそれを見てたら――救えたのに
意図を知りたい
▼
おかしな人(ジョン)に言われた話が現実の惨事と重なり、自分の母の予言を理解したダイアナはジョンと共に行動するようになったけれど、彼のする最後の行動の意味を理解できず、独自に逃避行動をとる。情報量の多い思考を他人に即伝えることはできない。察知することは可能だが、そのためには信頼がいる。信頼はすぐに築けるものではない。情報量の多いものを相手に伝えることも、信頼関係を築けているがゆえに阿吽の呼吸で理解することも、大本には時間が必要なわけだ。誰かや何かに対する質が分かるのは量に接して同感や同意したからということ。
地球の滅亡・最後を描いてくれたのも納得のいく映画だった。どれくらいの知識量を持ってこの映画を観るのかで印象や評価はかなり変わるだろう。ヴェジタリアンとウサギには感心しなかったけど。関連して『ノック 終末の訪問者』『トゥモロー・ワールド』を思い出した。
▼1:45:25
彼らと一緒に行くかどうかは――
お前の意思が必要なんだ
約束したよ
ずっと一緒だって
そうだとも
ずっと一緒だ
でもお前は行かなきゃならない
▼
「意味のある偶然の一致」
ネット上で見る詩人にも多くいるが「意味じゃない」というとき、その「意味」を突き詰めて考えている理論に出会ったことはない。言葉には意味があるし、ほとんどの物事は意味だらけだ。オスがメスを求めるのは子をつくるためという意味だし、交尾すれば精子と卵子がくっついて新たな命が誕生するという意味だが、ではなぜ、その行為により新しい命が発生するのかを人間は知らないし、知ることもできていない。言葉も行為もほとんど意味のあることだが、そもそも生命や宇宙が発生していることについては何も言えない。ただ推測があるだけ。と、この程度のことを考え、さらに突き進めての「意味じゃない」なのか、それともペランペランな無意味論者なのか。
4つの映画の流れとして、人間・言葉を捨てた者、群れの平和のために働く者、不老不死者であったとしても愛を求めること、そして次につなげるための覚悟という感じだろうか。私の意図する流れの見え方。
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