ねえ
ねえ
わたしは
ほんとうにわたしをみたことがあるのかしら
ねえ
ぼくは
ほんとうのぼくをみたことがあるのだろうか
ほんとう なんてあるのかしら
ほんとう なんて さがしてどうするんだ
いきている時間
いきている時間
いきている時間
五本の指を胸にあてる
それぞれの指先に問いかける
とりだせるものがなにもなくとも
ねえ
わたしは
ほんとうにわたしをみたことがあるのかしら
ねえ
ぼくは
ほんとうのぼくをみたことがあるのだろうか
ほんとう なんてあるのかしら
ほんとう なんて さがしてどうするんだ
いきている時間
いきている時間
いきている時間
五本の指を胸にあてる
それぞれの指先に問いかける
とりだせるものがなにもなくとも
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コメント
「いきている時間」のリフレインにドキッとしました。懊悩を端的に「ねえ」のタイトルに集約しているんだと思います。
いきる、ということを噛み締める。そんな時がたまにあります。本を読んだり、映画を観たり、…自分を確かめるというのかな。読後、そんなことを考えてみました。「いきている時間」のリフレインが効いていると私も思います。
@トノモトショウ
トノモトショウさん、コメントありがとうございます。
日々の隙間に、ふとさしこまれる言葉。唐突に浮かぶ言葉って、あったりする気がします。それはあっという間に通りすぎてしまうけれど、どうにか持ちこたえて、詩にすることができてたらいいな、と思います。。
@長谷川 忍
長谷川 忍さん、コメントありがとうございます。
自分を確かめる……いきるって、その連続なのかな、なんて、いただいた言葉からふと浮かびました。そういった作品や、誰かが誰かへの想いを噛み締める瞬間に出逢ったときに、ふと表に現れてくれることってある気がします。。「いきている時間」に集約されているのかもしれないです。