メール考
送信の印を、押せば
一瞬で相手に届く
メールの文面
手紙の文字なら
その人らしさを表わす一字にも
一つの心臓が、宿るらしい
令和3年にもなれば
ポケットから取り出した
長さ15cmのスマホの
画面にふれればこと足りるが
昭和生まれのわたしは、考える
「時には3行のメールにも
粋なこころを、宿らせたい」
ひとの想いは
頭ではない無意識の海で
互いに通じる、瞬間を
ひっそりと待つ
あ、机の上のスマホが ぶるっ と震えた
遠い街に住む友から
夜を越えて
鼓動の鳴ったメールが
飛んでくる
コメント
紙に書いた手書きの手紙には、その人の字があり、深い味わいなどもありますよね。しかし、携帯電話やパソコンのメールにも、そのメールを書いてくれた相手のこころが宿っているのだと思います。
(正直に言えば、魂って何だろうか、とは思いますけれど、魂はこころの大本かな とは思います)言葉はそれを発したその人のこころ、もっと言えばその人の魂(いのち)なのではないでしょうか?
この詩のすてきなこころと魂(いのち)が、私のこころに響きます。
特に、「あ、机の上のスマホが ぶるっ と震えた」というところと最終連に 生きた言葉の存在を感じます。
言霊とはよくいったものです。短いメールの文面からでも、その人の、優しさ、温かさ、冷たさ、醜さ、寂しさ、が伝わってきます。言葉は怖い、とあらためて思います。私も、できれば、粋なこころを宿らせたい。
こしごえさん
ラスト2連は大事なところなので、嬉しい感想です。
手紙もメールも、魂から発する言葉を届け、共有したい願いがあります。
長谷川さん
メールからその人が伝わる、その違いは面白いと同時に、日々の言葉の使い方を、会話も、詩作も、自覚したいです。
詩人の長谷川さんの中にも 粋 はあると思います。
詩も手書きでノートに書かれたものと、打ち込まれたものは大きく違うでしょうね。
打ち込むデジタルな文字はとてもリライトしやすい。書き換えられてもなにごともなかった顔をしている。自分でも書き換えたことを忘れます。ノートに書きなぐったものはそれを消す線やぐしゃぐしゃやいくつも言葉を選んだ工程が残されたりして、あとからその時の気持ちがわかったりします。あと文字の乱れも。