明日を 思い出す

明日を 思い出す
私をつかまえられるのは
現在の
私の中の優しい私
あの人が生きていたころは
こんなことは無かったのですが。

いつの間にかさびしいこころになりました
けれど思いのこすことはありません
こういうこころを無限とは
言えますか
私のこころの角を曲がると
そこには
こころの奥の
魂がひとりきり
待っています
その魂は
永遠だ。魂を借りている
肉体は、この私の肉体は
いずれ死んでゆきますが。そう
死んで火葬されて
お空になるの
私の思い出は

明日は
青空だった
あなたの
ほほ笑みは
救いです
握手をして
世界と
一つです
いえ
世界はもともと一つだった
いろいろなあなたも

投稿者

コメント

  1. 普通に読んだら明日は思い出せない。
    ただそう書くことで、実際のところ
    その日が来たときたくさんの余白が
    あることに気づくことも知っていて
    大切な時間を有効活用できるのです

    この作品は昨日の僕の実験作に繋がり、
    言葉と人の隙間を埋めてくれるのだろう

  2. @足立らどみ さん コメントをありがとうございます♪
    そうそう、「明日を 思い出す」ことなんて不可能ですね。でも、この作品では、そう言っている。そこが、詩なのだ、と私は思うのです。
    理屈じゃないんですよね、詩って。感覚で感じるのが、詩。感覚の質感というかですね。

    この作品に、らどみさんの貴重なご感想をありがとうございます♪☆^^

  3. @こしごえ さんは、久しぶりにコメントしてみて気づいたのですが、
    「質感」に対しての拘りを言ってきてますよね。言語化しずらいけど
    こしごえさんの言うとこの「質感」も備わってこその詩の存在。。。
    やはり、解き明かすのは、具体的にわからなくて私には難しいかなー

  4. @足立らどみ さん コメント追記をありがとうございます♪
    らどみさんには、前にも言ったことかもしれないので、申し訳ないのですが。私は、難しいことは全く分かりません。
    難しいことは、らどみさんのような頭のいいお方に任せています。
    らどみさんは、難しいと言いながら、色々と詩と真剣に向き合っておられる。それは、詩人たちからしてみれば、貴重で 素晴らしいことです。そういうふうに、詩に対して誠実な らどみさんを尊敬します。

    感覚の持つ質感は、少し異なるかもしれないけど、クオリアのことを言ってます。
    普通の文章ならば、別に詩では無くてもいいんですよね。たとえば、小説でもいいわけだ。小説なら、文脈をきちんとして、意味が通る文章にしなきゃならない。でも、詩は必ずしもそうとは限らない。ある種の「現代詩」、って全く私は分からんのですけどね。私の書いてるのは、どちらかと言えば、抒情詩に近いんじゃ無いかしら?まあ、詩のことも詳しく無いのですけどね。
    まあ、私の結論的には、おもしろければ、それでいいんじゃね、というですねぇ。無責任かもしれませんが、究極的には、おもしろくなければ、つまらんでしょ?当然かもですが。
    昔の私は、詩を高い次元に置き『すぎて』いましたが、詩、詩、って、いつの頃からか思うのは、詩って、そんなに大そうなモノか?って思っちゃう。需要は無いし、どこぞの外国とは違い、詩人はどちらかと言うと軽い存在ですよね。たぶん、今のままの日本では、それは変わらないでしょ。まあ、私は、放てば満ちるって言っちゃあ違うかもしれませんがその辺、ある意味、諦めています。

    あ、犬の世話等があるので、今回は、この辺で失礼します。ここまで読んでくださいまして、ありがとうさま♪☆^^

  5. @こしごえ さん。ありがとうございます。詩歴の浅い読者(15年未満位?)の為に
    補完出来ればいいなあと言う気持ちで再度コメントさせていただきます。
     
    先ず、「詩歴の浅い読者(15年未満位?)」とは、詩は読むのも書くのも感受性が
    大切だという点では、こしごえさんも同じなんだろうなぁと感じました。
    つまり、本来は年齢や詩歴の長さは関係ない、わたし的に言うと才能の問題だと。
    短めの言葉だけでもすてきな作品は山のようにあるし早口でまくしたててくるよな
    悪文を並べても詩心が伝わる作品もたくさんあって、実は両方とも、真摯に言葉と
    向き合っている人たちからの言葉かなと感じることがあります。ただ、疲れちゃう。
    だから、あるとき(その人その人の相当な期間を経て)、楽しんじゃえになった。
    こしごえさんのおもしろくなくちゃ詩ではないというのは、そういう過程の先の人が
    いえる言葉で、言葉じりを捉えてただその人にとって楽しいからと荒らしまくっても
    ぜんぜん、本人が感じていることは伝わらないのだなという側面でも勉強になりました。
     
    やはり、簡単な文章で綴っていても、こしごえさんは、詩の本質に近いところにいる、
    そして説明することよりも作品を作っていくほうが愉しくて、だからこそ、同じ文字で
    ある説明になると、わからない人にはわからないのかとわかったようなわからないような、、、
    質的には、「詩歴の浅い読者(15年未満位?)」に、わたし自身含まれているのだろうと
    反省もかねての再度のコメントです。ありがとうございました。

  6. @足立らどみ さん 再度コメントをありがとうございます♪
    ええ、んー、個人的には、私の場合、詩を読み始めたのは、もっと前かとおぼろな記憶で思うんですが。私が、詩を書き始めたのは、ちょうど 2000年の時でした。なので、まあ、詩歴としては、短い方では無い、のかな?

    でも、らどみさんの言ってくれた通り、「本来は年齢や詩歴の長さは関係ない、わたし的に言うと才能の問題だと」いうことに、ほぼ同感です。

    そして、
    詩を、『アタマで考えている』以上は、それが詩なのか何なのかの『答』は出ないと思います。
    詩は、『感じるモノだ』と思うからです。
    まあ、そういうことですね、私がここで言いたいのはです。ふふふ。

    まあ、あんまり深刻にはならなくて、いいと思いますよ。
    こう言っては何ですが、楽しんだもん勝ち。そう思います♪
    らどみさん、真摯に対応してくれて、ありがとうさま♪☆^^

  7. @こしごえ さん。今日は久々に智恵子抄を読んでしまっていたので、
    詩は、楽しんで書いているだけではないとも思つてしまいましたが
    この令和の世知辛い世の中でシュールな言葉との愉しみを感じることって
    素晴らしいことだとおもいます。また、作品を読ませてくださいね。

  8. @足立らどみ さん コメントをありがとうございます♪
    そうですねぇ。詩は、楽しみながらではない場合もありますね。その詩人、その詩人の人生とリンクしているのでしょうね。
    らどみさんが、そう言ってくれて、嬉しくありがたいです。ありがとうさま♪☆^^

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