『一つの真実、或いは思想の断片とその考察』

・「存在は本質に先立つ」との命題から、最初に感じ得ることは、存在に対する肯定である。

・今、ここに存在する、存在する為になしてきたこと、思い、経験がその人を決める。

・一方で本質とは、普遍性と不変性を備え、定義的存在、例えば人間は理性を持ち、社会で生きると定義する、等々。

・アンチテーゼだ、本質が素晴らしいものであれば実存、世界は素晴らしき世界となっている。しかし、今、そうである、と述べる人は極少数だろう。

・世界が良くない、故に「存在は本質に先立つ」とする。これでは、短略的過ぎる、消去法にも至らない。屁理屈の類いである。

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・或いは、素晴らしき本質・真理から、人間は離れているだけで、その離れの気付きを得れば、本質主義は世界を取り戻せるかも知れない。

・令和の世の中で、アリストテレスの形而上学の復活を企てる、のも面白そうだが、科学がそれを認めはしない。

・ひょっとしたら、千年先の哲学者に問う機会があれば、ニーチェの立ち位置は、アリストテレス以下の、過去の遺物かも知れない。

・哲学の備える自己修復機能は、自らを常に省みるが故に、ソクラテス没後2424年を経ても歴史の文献、或いは断片とは化してはいない。

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・超越者は、実は存在しているかも知れない。アリストテレスが現代科学を知らぬように、ニーチェも超越者が実在していれば、彼の論は崩れ去る。

・事象が世界そのものを変えてしまう。絶滅は存在しない。2025年5月の時点で判明したことは、このくらいである。

・あと数十年経てば、哲学主流は「本質は存在に先立つ」になっていても、何ら不思議ではない。神が発見されれば、或いは現れれば良いだけだ。

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・世界の真実を知ろうと、地面に穴を掘り続けている。様々な地層から発見があり、都度、世界は塗り変えられた。

・この物語の最後は、計算通りに、明確に訪れる。地面に穴を掘り始めた哲学者は、終に向こう側の地表に達する。

・彼らは言うのだ、世界は、今、ここ、だけである。過去も未来も存在しない。

・「存在は本質に先立つ」の命題とは、このようなものだ。穴を掘り続けている、この、今が世界である。世界は変化するものであり、変化し続けなければ、世界ではない。

・これは屁理屈かも知れない。おそらく、そうであろう、しかし理屈に変わりはない。むろん、絶対は絶対だという詐欺師よりは、幾分かましである。世界とはこの手の類いである。どちらにしろ、人間は強くならければならない。

#自由詩 

投稿者

大阪府

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