『集団意識と個人の尊厳、そして私は人間が嫌いである、旨の散文』

・国家自体が権力を自覚し始めた時から、全体主義とは必然だ。
・何故なら、権力構造そのものに多数の全体主義への因子が存在する。
・宗教も、内部統制に分裂を見ることはあれど、共同体であることを一とする。
・そしてそれらは、人間の存在意義、人はどうするかを常に問う。
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・人間が群れて行動する、何処か胡散臭さが付き纏うように思う。
・構造的、及び共同体においては、常に集団の利益を第一とする。
・札束で風を扇ぐリーダーと働き蜂の群れの例え。
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・傲慢さ、冷徹、目的至上、帰属意識による横柄さ、人間の非道徳的行動とは、ほとんどが集団意識の暴走を元とする。
・性善説を選ぶ私でも、この面は性悪説を否定することが難しい。
・歴史を省みても、俄然として死体の山が聳え立つばかり、そこに人間の尊厳を見出すことは出来ない。
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・私のような個人主義者はいう。
・それ見たことか、なるほど、科学文明の発達には必要だろう。
・そして、火薬から核兵器の歴史が浮かぶ。
・人間の尊厳とは、集団意識ではなく個人に帰するべきだ。
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・人間とは、斯くあるべきものではない、決して、そうあってはならない。
・何故なら、人間の本質とは自ら考えることにあり、ロボット、或いは組織人間になることではない。
・集団意識が正であり、どの集団が正しいかを問うなど、本末転倒そのものだ。
・人間の尊厳とは、自ら考えることによるアイデンティティの、思う・行うに他ならない。
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・昨今の人間でない人間、暴力、破壊衝動で動く加害者群とは集団意識の犠牲者でもある。
・常に集団の声を求め、指示通りに動く、蜂や蟻の如く、或いは暴走する。
・彼らの哲学は死んでしまった。
・故に、今のところ私は人間を好きになれない、否、嫌いだ、そして。
・この世界は間違っている。社会>人間であってはならない。
・人間たる人間とは、個人の解放であり、個人とは公正無私の、個への、集団への思いやりに立たねばならない。
・そこに、私は人間の尊厳を見る。

投稿者

大阪府

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