秋の大気は
空の遠く
どこか遠くで
飛べない鳥たちの足音を聞いた
悲鳴のような声が
優しく大気に充満していく
オレンジ色に塗りつぶされて
雲の群はすこし窮屈そうに
肩をふるわせた
秋の夕暮れに悲しい歌が広まる
痛い、痛いよ
子どもたちが泣いてる
さみしさが募る数時間のあいだに
ぼくは足音を数えてみた
二十万と少しの
砂埃の色をした音符だった
線の上に並べてみたところで
メロディにはならない
いったい何のための営みなのか
懐かしい香りが
懐かしくなくなったのは
いつからだろう
痛みが背中へ抜けていく
切り取られた内臓を
肩に載せられているみたい
がらんどうの胸の中で
オレンジ色の細かな花が
狂い回った
それは飛べない鳥たちの
血染めの後ろ姿だった
固まってしまった羽を
重たそうに揺らしながら
印をつけるみたいな
奇妙なリズム
今夜は月が出ないから
行き先も決められないね、と
君はつぶやいて
二十万と少しの
印をつけたぼくの手を止めさせた
そうだ、
大気は優しい悲鳴に満ちている
悲しくないふりを続けるのは
やめてしまおう
繰り返されるオレンジ色の悲しみを
ぜんぶぶちまけるような夜の始まりだ
振り向いたら
空はもうどこにもなかった
コメント
言葉の並びは整然としてるのに、ちょっとグロテスクなイメージがあって、妙に差し迫る感じがありますね、あまねさんの詩って。秋は過ごしやすいけど、あんまり好きになれないのは何故かな。悲しいからかな。
おもしろいなー。
転調しそうで転調しない音楽を思ったり、痛みのリフがベースに流れ続けている感覚でした。
懐かしく感じることってあんがい後からの気のせいなのかもしれない。実際はつらいことで、それを緩和する記憶の入れ替え作業なのかもしれない。
この詩のその痛みが甦るさまに、読みながら痛みます。
僕は秋は好きです。悲しい出来事やつらい事が過去あっても、秋は美しいと思う。その悲しさ、痛みまでも美しく感じさせる気がします。まぁやっぱり入れ替え作業なのかもしれませんけど。
秋の大気は、にこそ とても悲しいけれどとても美しい という表現がぴったりくると思います。
そして、読んでいる最中というのは、どこか心地好い痛みというか、絶妙なバランスで悲しみがじんわりと伝わってくる感じがします。
きっとそうだと思うのですが? それがこの詩の秋の大気なのではないでしょうか。
あまねさんのその筆力をすばらしいと思います。
飛べない鳥たちと、泣いている子どもたちが、重なるんですね。オレンジ色の花と、空も、重なる。それらが、重なり、溶け合って、読後、ひりひりするような寂寥感に包まれました。