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ときどき船になる
ただ流されるだけの
木の葉ではなくて
川を下る船になる
くぐった橋を数えるだけの
泡ぶくではなくて
時を忘れた船になる
舳先にとまったユリカモメの
水先案内を見過ごして
たかが5,4ノットの
ささやかな波をたてて
誰かを乗せたり
乗せなかったり
岸辺の日常が手を振るのを
船上の非日常が手を振りかえしたり
ときどき船になる
今にも錆びつきそうな
エンジンの鼓動を確かめるために
川を下る船になる
しだいに濃くなる潮の香りの中に
川の終わりを予感するために
まだまだ遠い
はずだ
コメント
ときどき船になる
この、ときどき、というところがミソですね。
そして、
まだまだ遠い
はずだ
という終わり方に、この詩の話者の未来が広がる様子がうかがえます。
@こしごえ さん
>コメントありがとうございます
「ときどき」と「まだまだ」は多少意識しました。
詩の中で私はいろいろなものになるのですが (笑)
今回は船になってみました。。。。
5月は船になるには絶好の季節みたいです。
私は、ときどき水になります。水の立場でこの詩を読み返してみると、とても興味深いです。
@長谷川 忍 さん
>コメントありがとうございます
水の立場。。。いかにも長谷川さんらしい立ち位置だと思いました。
船に乗る機会はとても少ないので、つい浮かれて船になってしまいました(笑)
本当は橋とか岸辺になるのが私には似合っているのかもしれません。
いつか、ご一緒しましょうね。