水滴もしくは

ほどけていく
朝の気配と
牛乳だけが白い
メガネの
遠い向こう
身体の在処
その不在

親の顔が見てみたい
度々そう言われ、毎日
親の顔を見るのが
不思議だった
見に来ればいいのに
そう思うと
六月の時があった

皮膚と
外側の境目を
指でなぞる
現れる輪郭に
拭きそびれた
水滴
もしくは
光だったもの

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コメント

  1. 二連目が面白いですね
     親の顏が見てみたいなら見に来ればいいのに
    という、子どもながらに思う不思議さと違和感みたいなのが
    伝わってきました
    たしかに、毎日見てる顏ですもんね( ̄▽ ̄;)

  2. この詩は、存在感を絶妙に表していると感じます。

    そして、最終連、
    水滴
    もしくは
    光だったもの
    ここで、それ(存在感)が浮き彫りになっている、と思う。
    最終連で、そこはかとない喪失感も感じます。

    最近、年のせいなのか、私個人の性質の変化のせいなのか、さびしさをおぼえる時もあるようになりました。でも、そのさびしさは、どこか 大切な悲しみも含んでいます。

    そういうことも含めて、この詩のそういった空気感をこの詩の全体から(私個人的には)感じられます。
    まあ、一言で言えば、すてき♪☆^^

    あと、六月というと季節感的なものもあるのでしょうが。
    六という数字は完全数ですね。数学も分からない私ですが、完全数と何かの関係もこの詩では示してあるのかなぁ、と深読みすぎでしょうか。

    六月の時があった
    とあるから、この詩の話者(もしくは、作者)は、その六月を振り返っているのかなあ、とも。でも、深読みすれば、完全な永遠があった、となるのかも??ふふふ。^^;おもしろいです。

  3. そーですねー六月なんですよねー二連目(僕も、親の顔~言われたかとあったなーと、ちときつかったけどね)時を重ねてもまた同じように六月になって、中腰でずっと農作業するのにはキツイお年頃になりました、はい。

  4. @雨音陽炎
    雨音陽炎さん、コメントありがとうございます。返事が遅くなってすいません。
    親の顔が見てみたい、って本当に何て言い草なんだろう。お前の母ちゃん、出臍、の方がまだ許せる、なんて思ったりします。

  5. @こしごえ
    こしごえさん、コメントありがとうございます。返事が遅くなってすいません。私もすっかりよいお年頃なので、大切な悲しみを含むさびしさ、ってなんな良くわかるな。そうか、6って完全数なのか。というか、完全数という言葉を初めて知った、、、8、とか、12、とかそれっぽい顔して、6の次はまさかの28、なんですね。

  6. @三明十種
    三明十種さん、コメントありがとうございます。返事遅くなり、すいませんでした。
    農作業、大変ですね。数年前に、市役所の企画に申し込んで、田植えから稲刈りまで体験学習をしたことがあります。翌日、身体がバキバキで動けなかった、、、

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