役所を定年退職したおれが再雇用されて動物園で働く話

旭山動物園は旭川市にあるが旭川動物園ではない
観光客に旭川動物園行きのバス停を尋ねられるが
いちいち訂正はしない
動物園は市営なので去年市役所を定年退職したおれは
再雇用されて園舎の清掃をしている
糖尿病は日々の運動が治療というわけだ
重労働ではあるが、苦ではない
匂いには慣れる
今日は飼育舎内の清掃を終えた後に安楽死用の毒餌を与えてまわる
本来なら獣医の仕事だろうが、獣医は先週から人手不足の前線に駆り出されている
人間の傷だって縫えるだろう、むしろ体毛が薄い人間なら
そのぶん楽だろう
全動物の薬殺は前倒しで実施されることになった
天塩から音威子府の防衛線は崩壊寸前という噂だ
自衛隊はロシア上陸部隊の南下を止めることができない
台湾で中国と対峙する米軍は北海道でロシアとは直接交戦しない
旭川は現在の戦線から100キロ南だが、数日中に戦場となる
市民はすでに避難したが、
おれはいちおう市役所の職員なのでいままで残っている
この仕事が終われば親戚を頼って名古屋へ疎開している家族と合流する
旭川でのこれが最後の仕事だ
雌のライオンは2頭の仔たちが毒餌を食べたのを見届けた後、
自分も毒入りの肉に口をつけた
雄の老いたライオンは口をつけない
妻と子が静かに息をひきとる傍で重ねた前肢の上に顎をのせ、
白い曇りが浮き始めた瞳で家族の死を見つめている
老いた雄ライオンにとっては遅く出来た家族だった
おもむろに身体を持ち上げ、動かなくなった雌ライオンに歩み寄ると額を妻の頬に押し当てる
子供たちの鼻先に自分の鼻先で触れる
家族に別れを告げた老ライオンは後ろの二足で立ち上がると檻の外にいるおれに向かって言う

楽しいことになったな、人間

左右の前肢を胸の前で組む
にやりと笑う
そして

愛と闘争心は別腹ってやつだ

ミサイルが市内に着弾したのだろうか
ニュースや動画で聞いたことのある爆発音が遠くから聞こえてきた
それはニュースや動画で聞いた通りの音だった
それが次々に連続して、小さく、大きく、響いてくる

どうも、人間です、いつもお世話になっています

おれは上の作業着を脱ぐと檻の中に入る
檻の出口は開け放したままにする
老ライオンは王だ
獄吏のおれを殺さずして、いくら開かれた扉があっても、檻から出ていくことはない
逃がされるのではない
敵を倒して凱旋するのでなくてはならない
おれは護身用のナイフを抜く
老王は馴染んだ四つ脚に戻り、戦闘姿勢をつくる
だが、おれはライオンを屠るだろう
市役所の職員として檻の中に入ったおれは
ライオンとなって檻の外に出るのだ

低空を旋回するジェットの轟音
血を流すのは汗を流すより気持ちがいい
おれのナイフは急所を外した
カウンターの一撃はおれの皮膚をたやすく破った
雄は王様じゃないと気が済まない
どいつもぶっ殺してやる

投稿者

北海道

コメント

  1. 面白かったです。各々運命を引き受けていくその静けさ。着弾してるのに。動物園で安楽死させられていく動物を見ながら、飼育員は何か、選択をしたかったんだと思いました。わざわざ檻に入った。雄にしかわからない不思議な心の動き。一方雄ライオンずっと考えていたんじゃないかな。もしも家族が殺されたら、相手を殺して自分も死ぬ。

  2. 飼育員は、出された毒入りの餌を当たり前のように食べて死んでいく、安楽死していく動物たちに腹たったんだと思います。少し自分と重なったのかもしれない。だから勝てないと悟りながら挑んだのですね。何かを変えたかったんだろうな

  3. 久々に骨のある詩を読みました。ここであんまり批評っぽいことはしたくないんだけど、もったいないなあと思ったので、失礼を承知で書きます。
    ライオンとの会話はいらなかったかも…。淡々と描写するだけで充分リアルで迫力があるのに、そこだけ妙なファンタジー感というか、詩という呪縛にとらわれている気がしました。

  4. ゼッケンさんの詩の主人公は一貫しているんです。偽善が嫌いなんです。だから共感できるんです。

  5. @たかぼ さん
    誰に共感しますか?名古屋で家族が待っているのにライオンと闘いますか。か、安楽死用の餌食べないで飼育員とタイマン?どっちにしろ死ぬのに。やっぱり雄はすごいな…。雌ライオンは、本当は雄ライオンにも餌食べてほしかったけど、わかっていたよね…

  6. 飼育員は旭山動物園でも川でもどっちでも良かった。山でも川でも呼吸ができる変わらん人生。でも、飼育員は汗かくより血を流したほうがー汗なんて、園の清掃か、精巣の清掃、セックスくらいしか普段かかないのに、人生の最期の局面で真理を掴んだ。血を流す方が気持ちいい、つまり人間は動物に負けたんだと思いました。

  7. @花巻まりか
    深く読み込んでおられる花巻さんに促されて考えてみました。「愛と闘争心は別腹」はキーワードのように思います。この言葉は文中ではライオンが言ったことになっていますが、ライオンがそう言ったと「おれ」が思ったのです。男には愛が十分あるかもしれませんが、闘争心という名で語られる「怒り」もあり、それは愛で帳消しにできないものです。いやむしろ愛があるからこそ愛に敵対するものに対しての怒りが強くなるのでしょう。なぜロシアは日本に攻め込むことができたのか。無論日本が核武装しないからです(これは偽善です)。なぜ核武装しないのか。無論アメリカの核の傘があるからです。しかしそのアメリカは中国に対するので精一杯でもはやかつての超大国の面影はなく中ロ双方に対峙する力はありません。日本を愛し家族を愛する男に怒りという闘争心が湧き起こるのは当然のことです。また動物を安楽死させるのもまた偽善であります。たまに幼い子供を道連れにして親子心中する馬鹿者が現れます。自分が死んだのちに遺される子供が不憫である(いや実は一人で死ぬのは嫌だから誰かを道連れにしたいのかも)などという偽善というか悪そのものの考えでそのように行うのでしょう。一人で死ねよ。子供は何とでもなるよ。バカ親が居ないほうが立派に生きてゆくよ。それに近い構図。人間がいなくたって、いやむしろいない方が動物は立派に生きるよ。毒殺せずに檻から解放すればいいんだ。というような気持ちがこの男に湧き起こったとしても不思議ではありません。愛があるからこその怒りであります。ライオンと戦って生き残ったとしたら、この男は名古屋ではなく前線に行くのかもしれないなと思いました。

  8. たかぼさんの読み方面白かったです。飼育員がどういう人間か、推測する手がかりがほぼないので読み手の好きなように読めて、やっぱり詩はいいなと思いました。私は飼育員から愛国心や怒りをあまり感じなかったんですよね。ライオンに勝ったら…そうですね、前線に行くか。ただ、血を流す味をしめたというのが理由だと思いました。飼育員は好き勝手に想像されてます。
    失礼ながらゼッケンさんの詩を初めて読んだのです。たかぼさんもコメントでお薦めされているので他の詩も読んでみようと思います。

  9. たかぼさん質問に答えてくださりありがとうございます。どう共感するのかがわかりました。ゼッケン作品が好きなんですね。

    まだまだ考えてしまい続きます。
    「愛と闘争心は別腹」は男の性でなにか逆らえないものを感じる。檻は開けておいた。雄ライオンは闘う理由があるけど、飼育員は、ない。逃げてもいい。でも受けてしまうんだよね。その心の動きがたまらない。好きだなと思うんですよね、性差が。

  10. この飼育員が見えている世界、ぼんやりしてるんだけどだんだんくっきりしてくるんですよね。食うか食われるかのステージに立って生きた心地がしてくる。怒りと闘争心も別腹でしょう。殺せって飼育員の中の飼育員が命令する

  11. 別腹じゃなくて、別。怒りがなくても殺せる。人間ってあらゆることに慣れることができて始めは新鮮だったことがいつしか日常になって、飼育員は動物園の匂いにも安楽死用の餌を与えることにも慣れて、前線で人を殺すことにも慣れる。ライオンは人間を嗤っているね。

  12. ゼッケンさんの詩、好きです。
    ラストが今回もいいなあ。

  13. 据え膳食わぬは男の恥というが、決闘も然り。決断の仕方に、やらなあかん、っていうのがある。腹を括るって男の言葉なんだよな。飼育員はライオンによって男になった。少ない手がかりから想像するにあまりテストステロン値高くなさそうやし。どうしてそんなふうに行動してしまうの、他に選択肢があるのに、と思う時、なんともやりきれん

  14. 動物に生かされて、娯楽を与えてもらって、安楽死させて、いざ言葉が通じたら、お世話になってますという言葉以外にないですね。どの面下げて謝るわけにも感謝するわけにもいかない。たかぼさんのいう偽善云々というのがわかる気がしました。

  15. 確かにトノモトさんのいうように会話なくてもいいのか…。どっちもありか、好みですかね。わかりません。あって見えるもの見えないものあって面白いと思いました。やっぱり詩はいいですね、おしまい

コメントするためには、 ログイン してください。