風に乗り 今を生きるのだ
そよ風で編まれた
風の言葉に
連れられて
私の耳は進んでゆく
行く先は分からないまま
雑音混じりに
聞こえる
ここから
静かに静止する
最後まで
たとえ無様な最期であっても
「ありがとう」とその時にも言いたい。
そよそよと
そよ風が
ぽつねんとした最後を通り過ぎてゆく
私を
私が
通り
過ぎて
ゆく
あとにのこるのは
風の言葉
そよそよと。
今日も
風は
吹きわたる
時にはそよそよと優しく
時にはびゅうびゅうと激しく
吹く風
私の命ある限り
風を聴いて
風に乗り
今を生きるのだ
コメント
私を/私が/通り/過ぎて/ゆく
この幽体離脱感あるフレーズが良いですね。こしごえさんの詩は大半がこの幽体離脱感ある視点から書かれているようにも思うのです。もちろん素敵な意味で言ってます。
生きることと、いつか死ぬことと、それに対する感謝が常にこしごえさんを支配しているのですね。最近はぬるい風ばかりで嫌になるけど、それも生きてる実感だったりするのです。
@あぶくも さん ありがとうございます♪
うふふ、おもしろい ご感想ですね。^^
素敵な意味での幽体離脱感ですか!うーむ、自分では、そういうつもりではないのだけど、そうなんですね。^^私が気付けないことを教えてくれたり、良いと言ってくれて、
あぶくもさん、ありがとうさま♪☆^^
@トノモトショウ さん ありがとうございます♪
そうですねぇ。
ありきたりかもしれないことを言えば、「死があるからこそ、生は尊い」とも思うんですよね。うん。^^
それに、私の場合、死ねることが ありがたくてですね。変な話、死はこの世からの解放ですよね。この世の さまざまな苦しみや悲しみから、いずれどの道 解放されると思うと、死は私にとっては、(どの道死ねるという意味においても)絶対的な、希望なんですよね。
まあ、少なくとも今は、わざわざ自死はしたくありませんので、ご安心を。放っといても、死ねるんだから、わざわざ自死しなくてもね。(死んだ後に、この魂?がどうなるのかは、誰にもわからないと思いますけどね)
そして、最期にも、みんなへの感謝の思いを「ありがとう」って言えれば、すてきでしょ!?ふふ。^^
トノモトさん、すてきなご感想を ありがとうさま♪☆^^
そよ風で編まれたという詩句が素敵だなあ。
風が起こることに感謝したくなるような、生命を感じます。
(観葉植物には風が必要らしく、最近ファンを買いました。我々にも風が必要なのだろうとふと思いました)
@たちばなまこと さん ありがとうございます♪
ああ、そよ風で編まれた、というところは、自分でも気に入っているので、
たちばなさんが そう言ってくれて 嬉しく ありがたいです。
そして、
たちばなさんが、感謝したくなるような、生命を感じてくれたことも、貴重に思います。
たちばなさん、ありがとうさま♪☆^^
ああ、観葉植物には風が必要なんですね。初めて知りました。うちの子たちの盆栽たちは、夏場ならお外に出しいるから自然の風で大丈夫だと思います。
自室には、がじゅまる一鉢(6年持ってる)と多肉植物とシダが共存してる一鉢(11年持ってる)とナラかブナか何かどんぐりの盆栽が一鉢(3年位持ってる)あります。大雨で無ければ、窓を網戸にしてるので、こちらも自然の風が入って来ると思います。何年もそうしてる。
ちなみに、どんぐりの子ですが、このどんぐりは、3年位まえの晩秋?に、リスぽんが、私の盆栽のコケの中にドングリの実を隠してったのが翌年の春に芽吹いたものです。それを2号鉢位(直径6センチ位)の盆栽鉢に鉢上げして、盆栽仕立てにしました。今、体長9センチ位まで伸びて、葉っぱを4枚付けてます。どんぐりのどんちゃんて、その子を呼んでます。ふふ。^^
私、盆栽歴20年以上ですので、今は、私の場合惰性でいっしょ(一緒・一所)に暮らしてる「部分」もあります。
でも、どの子も思えば思い入れがあり、
めごちめごち(かわいいかわいい)子たちです♪☆^^