海岸駅
電車に乗ると
二つ先に海岸駅という名の駅がある
海岸駅、と言っても
降りてから海までは男の人でも
歩いて三十分以上かかる
近くまでたどり着いても
海岸線に沿って細長く続く
フェンスに囲まれた国関連の施設や
防風林に阻まれて
海を見ることはできない
地元の人間なら知っていることだが
時々、土地勘のないと思しき人たちの
海岸に行ってみたいね
海岸って素敵だよね
などという会話を
電車内で聞くことがある
微笑ましくもあるけれどその度に
もっと他のことを話せばいいのに
と思ってしまう
それでも海岸駅を過ぎてしまえば
あれは美味しかったよね、とか
あれは偽物だよね、とか
普通の話をするようになる
海岸とはそのようなところ
多分、地元の人間にも忘れられたところ
海岸駅に着いたので電車を降りて
小さな改札口へと向かう
毎日少しずつ何かを失っている
それは身体の一部だったり
他のものだったり
大切なものだけではなく
大切にしていなかったものまでも
海が見たい
海岸駅というのだから
きっと海が見える
コメント
「毎日少しずつ何かを失っている」
と言うところにドキリとしました。
幻想的な摩訶不思議な世界にこう言う警句的なフレーズを忍ばせてくるあたりが、私の好きなたもつさんの詩の醍醐味でもあります。
私も、毎日少しずつ何かを失っている、というところに注目しました。
そうなんですよねぇ、何かを毎日失っている。でも、そういうことならば、その反対に、毎日何かを得ている、とも言えますね。でもね、前にも私の詩で言ったことがあるのですが、「得たと思うと同時に失っている」とも言えますね。
何かを失うとか、得るとか、人生で生きるとは、そういうこととは無縁では居られませんね。うん。
海岸駅をつい検索しました。
まあ、いくつか出てきましたが。
フェンスで海が見えない、国の施設がある、そんな海岸線は実在していそうな気がして思い描きました。
結びの、忘れている(記憶?を無くしている)ことを匂わせる描写にぞくっとしました。
最後は心境の変化、希望を感じました。今なら、やれるかもしれない。見えるかもしれない。海岸駅という名前を信じてみるか、決まった道から一歩踏み出すような。
結びにはっとさせられました。