ここは牢獄である
目の前の事象、そのものは風景に過ぎない
ここは牢獄である
世界を感じたい
木の、草を、アスファルトに、通行人と
直接、触れれば世界を感じられるのか
否
何故なら
世界とは多元化した構造体に他ならない
目の前の事象、とは平面化された時点を表す
もし、タイムスケールを見れるのであれば
変化を現れとして認識出来る
歴史、歴史学
確実な一次史料が、驚くほど少ないにも関わらず
そこに何かを見出だす、可能性に満ちる
難解でもある、時間の壁を超えねばならぬ
目の前の風景、事象
ここから、どうしたら構造体にたどり着けるのか
知識は、多層化へと誘うのか
例えば、竹林の竹
AIやネット情報を元に大まかな知識は得られる
竹林を見て、時系列の流れも把握出来た
しかし、それだけ
竹は竹以外のことは語ろうとしない
これも面である
多層化した構造体、そのものを見たい知りたい
私の願いは、叶うことはない
面の壁、もはやこの呪いは
牢獄のように私をここに縛り付けている
一つの理解が生まれる
面で生まれ、面で思考する限り
多層化する世界、そのものである構造体は目前に現れることはない、という仮論である
ここから分岐が始まる
論理思考内では面の制約は受けない
一方で、この世界の論理制約は依然とし存在する
或いは、一切の物差しを用いず
全てを空想に委ねる
宗教や空想小説の類いに、それを求めるか
もはや、世界を現す多元化、多層化する構造体
そのものが夢、ファンタジーの類い
これすら否定出来ない
哲学とは、人間の思考内の産物である
何も証明出来ない
皮、竹、紙、あらゆる言語で発刊された
分厚い哲学書の山を想像しよう
これら全て、思考の産物以外の証明を得ない
少なくとも
先人の苦悩の歴史は、知ることが出来る
ここは、この世界に閉じ込められた牢獄なのだ
閉塞感こそ、哲学そのものと言える
私たちは見えない壁に閉じ込められている、これからも、ずっとだ
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