賤しさ、貴さ、
人には貴賤がある
というのが
最近の日本人の流行り?
ヨーロッパでは有名
嘘だけど
本当のこと
犬のように
あるいはトンビのように
アコヤ貝のように
何かになることをおそれ
何かをすることをおそれ
何かがおきることをおそれ
空の彼方に
まだ人間の読めない
時計があると思ってた
君のためならなんでもする
頬に手を添えて笑うと
彼は目を見開いて
お前を殺してやる
地の果てまで追いかけて
息の根止めてやる
分かるよ
分かるけど
あの時に
賤しいって何か
貴いって何か
薄ら寒い気持ちになったんだ
何も違わない
命を落とすことも
命を奪うことも
指先を伝う涙の色
空が人間を恥じている
月と太陽と星にかけて
名前のあるものは
皆罪を負っているのさ
償うかどうかだ
コメント
私的にはネット社会はその成り立ちから最初から悪しき平等で、
当初はその事実を受け入れられなかった大人たちも淘汰されて、
物心ついたときからネットがあるSNSがある、今後はAIがある
社会のなかで裕福さとも表裏一体化した社会にますますなると
思っているので、現実社会だけの貴賤について問うようなこの
作品は、今後も議論し続けるテーマなのだろうし書ける作者は
凄いと思います。
あっ、悪しき平等が悪いと言っているのではなくて、そういう
システムを私たちは自然に受け入れた上で利用しているという、
悪しき平等主義者の立場からのコメントです。ごめんなさいね。
@足立らどみ
コメント有り難うございます。
ごく限られた、いうなれば上流階級の一部の趣味だったものが、多くの人の手が届くようになればなるほど、モラルを失っていくのを度々見掛けてきました。
自由ってなんでしょうね。
平等ならなぜ餓死者や自殺者が後を絶たないのでしょう。
最終的には都合の悪いことは皆解決もせず葬りさって終わりなのだと思います。
それが社会の成り立ち。
自分がそうならないように必死で、大事なものを失っていく姿を、私も草葉の陰から見物しましょう。一介の読者として。