偏奇館

偏奇館

東京、麻布の
小高い崖の上
館はひっそりと建っていた。

作家は二十五年
そこに独居した。

大学教授職を辞し
妻とも別れ
世間から距離を置き
館には誰も入れず
(妾は入れたが)
自らを保った
護った。

庭には
作家の好きな花々が
咲き乱れていた
そこでの独りの生活を
彼なりの緊張感を持ち
淡々と続けた。

散策が好きだった
東京下町の
何でもない川べりから
陋巷まで
じっくり、緻密に、歩いた。

虚構を求めていたのだろうか
隠れ町を探していたのか。

散策から館に戻ると
香を焚いた
陋巷に憧れたが
陋巷には結局棲めない
作家はそこにこそ自覚的だった。

終戦の年
大空襲で館は燃え消滅した
彼はその様子を
日記に丁寧にしたためた。

それ以降
彼の筆は衰えた。

館のあった場所は
今、高層ビルディングが乱立し
小高い崖も消えた
庭の花々も。

作家は、私の中に
少しだけ宿った
私は陋巷や
川べりや
麻布を時々歩いた
いくもの虚構を伴って。

*作家 永井荷風

投稿者

東京都

コメント

  1. 長谷川さんの街と人の相互作用を書かれた作品、とても好きです。
    そのあたりを歩きたくなりました。

  2. 永井荷風についての知識がほとんどない私は長谷川さん(と詩)を通じて気づけば興味がうなぎのぼりに高まっているのに気づくのです。風景と人を訪ねて歩きたいですね。

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