歩み

いのちを
失っても
まもりたい存在があるだろうか

こころの平原を行くと
そこに一つの墓がたっている
それは私の墓だと直感する。
あつい陽にさらされていても
その墓の石の肌はどこか
ひんやりと冷たい
つきつめると結局のところ
私は私が一番大事なのかもしれないのだった。
ふりかえると
道が出来ていた
この道は
善も悪もたくさん持っている
これからも
そうであろう
最後まで
道はつながっている

ふと向こうを見やれば
私が向こうから手をふっているので
私も私へ手をふった。
これが終りなのかや
これが始まりなのかは
私にはわからない
私はただ歩いていく
自らのこの道を
時々は休みながらも。
こころ
傷つけて傷ついて
謝る。ああ
こころは
いのちだ

投稿者

コメント

  1. 私は私が一番大事なのかもしれない

    というのはよくわかります。
    このことに、きちんと向き合うことは、とても痛みを伴うものだと思います。

  2. 俺なんか、悪が97.2%で
    残りはおセンベエです

    向こうで手を振っている
    あ、あ
    あれは俺か

    素晴らしいです

  3. @たけだたもつ さん ありがとうございます♪
    つきつめていくと、結局のところは、自分が『一番』大事なの かもしれません。

    日常生活の中で私は、情けは人の為ならず、というのを時々思います。人のためじゃない、自分のためにする、という。
    でもですね、そのしたことが、結果的に、その人のためになれば、一石二鳥なんだと思っています。うん。

    たもつさんが、この詩の痛みを感じてくれて、とても貴重で ありがたく思います。
    たもつさん、それを伝えてくれて、ありがとうさま♪☆^^

  4. @那津na2 さん ありがとうございます♪
    そうなんですねぇ。うん。私も似たようなもんです。どちらかと言えば、私は悪だ。
    でも、時々思うことですが、100パーセントの善人も居なければ、100パーセントの悪人も居ない、と思うんです。まあ、いろいろな人が居ますし、一人の人間にしてみても、悪や善も複雑なんだと思います。
    那津さんの悪以外の 残りは、おいしそうですね♪

    そう、私。向こうから手をふっているのは、自分なんですよね。ふふ。

    那津さん、素晴らしいと言ってくれて、ありがとうさま♪☆^^

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