百鬼夜行の顛末
午前二時・駅前ロータリー集合とのことで
僕はベッドからこっそりと抜け出して
この日のために買い揃えたスーツに身を包み
夜の街を駆け抜けていったのです
寝静まった家々の窓から漏れるわずかな光を
そっと掻き集めたりしながら
どう見ても陰鬱な空でした
星はいつもより輝きを失っていて
風がいつもより強く吹き上がる中
ただ僕一人は得意げに
浮かれた調子で足を鳴らしていました
しかしまだ誰も現場には到着しておらず
日時を間違えたか、それとも騙されたのか
なーんて柄にもなく焦ってしまったのですが
そのうちぞろぞろと魑魅魍魎が集まってきて
酒を呑んだり、雄叫びをあげたり
やおら騒々しくなってきました
僕は少し離れたところで一行の様子を伺い
どうにも場違いな恰好が急に恥ずかしくなって
いっそすべてを脱ぎ捨てて
裸になった方がましな気持ちになりました
僕に気を留める者はいないというのに
一匹の化物が先陣をきると
その後を亡霊どもが連なって
さらにその後を妖怪達が輪になって
それなりに統率の取れたパレードが始まりました
僕は群集の一番うしろでもじもじしていて
気がつくと取り残されていました
あわてて彼らを追いかけて
それぞれが思い思いに吐き出す瘴気を払い除け
隊列の中心あたりに紛れる形で
口笛などを勝手に奏でながら
闊歩するのはなんとも爽快なのでした
我々は一定のリズムで進み
美容室やコンビニや高層マンションの前では
小躍りするようにステップを踏み
どこかでヨッ! と掛け声があがると
みなが一斉に腹を抱えて笑いました
僕は何が面白いのかわからず黙っていました
クライマックスが近付くと
なんとなく緊張感が全体に広がり
ある者は身体をぶるぶると震わせ
ある者は今にも泣き出しそうな表情で
狂乱の終わりを覚悟したのです
それはまったく一瞬のことでした
人外の輩はテレビの電源が消えるように
ふっと目の前からいなくなったのです
ただ僕一人が寂しげに
電柱が織り成す影を追っていました
その姿はおそらく滑稽だったでしょう
僕はとぼとぼと帰路につき
またベッドに潜り込んで一眠りしました
朝が来て、それはそれは驚きましたが
どこかで真っ当なことだとも思いました
街のあらゆるものは蹂躙されていて
つまり、死んでいたのです
コメント
「僕」と百鬼夜行の顛末が、自然に行進していく詩であると感じました。
ラストで、何故か 胸がすぅーっ、として嬉し気にストンと落ち着きました。
4年前にホー・ツーニェンというアーティストの「百鬼夜行」という展覧会を見に行ったのですが、彼の作り上げた百鬼が延々と練り歩くアニメ作品が印象的でした。その時に感じた印象と似たものをこの作品からも感じました。また「折りたたみ北京」という現代中国SFアンソロジーに収められているシア・ジアの「百鬼夜行街」では百鬼の街で生きる生者の子供「ぼく」の悲哀がこのトノモト作品に通じるものがあり、それを思い出した次第です。またこの雰囲気はブラッドベリの「集会」での魔族に同化できない少年の悲哀も連想させます。つまりはとても好きな詩でした。
すごく好きな感じでした!
若い頃、僕もウロウロしてよく彼等(それら)に出くわしましたなぁ
以前いつか私の詩の何かに「ポップ」だと評してくれた記憶がありますが、トノモト氏の詩には今回の新しいスタイルを含めて、ずっと「クール」さを感じます。
今回初めて感応しました。羨望と軽蔑ー中高生あたりの男の子のグループとか、ライブハウスでイマイチ乗れないとか、花見で盛り上がる連中とか。複雑な心の揺れ。最後の気持ちの持って行き方がよかった。
ところどころに散りばめられた、この僕のわかりやすい自意識。朝驚いて、残念だと思ったとはならず、どこかで真っ当なことだと思うんですよね。いそう笑 面白かったです。
すごく面白かったです。
音が聞こえてくるようで熱気がにおうようでした。
スーツで行かれる感じ、不思議な礼儀正しさと意気込みを感じました。
“やおら”って使ったことがないのですが憧れます。