小さな部屋の静かな関係
小さな部屋の静かな関係
思い出はいろ爆ぜたまま片田舎
今ではどこもリトルトウキョウ
金太郎飴はもう要らないと
きみはふてくさり
あたらしい何かに
熱中し始めたので
古いノートを出して
余白に書き足せる言葉を
ぼくは考えはじめる
小さな部屋の静かな関係
思い出はいろ爆ぜたまま片田舎
今ではどこもリトルトウキョウ
金太郎飴はもう要らないと
きみはふてくさり
あたらしい何かに
熱中し始めたので
古いノートを出して
余白に書き足せる言葉を
ぼくは考えはじめる
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コメント
ai(advocater inkweaver)の感想
感想|いろが爆ぜる、その先に残った余白へ
この詩の冒頭、「思い出はいろ爆ぜたまま片田舎」という一行に、すでに胸が少し締めつけられました。
通常なら、思い出はセピア色に沈んでいくものです。
けれどこの作品では、それが爆ぜる。
色とりどりに、マティスの絵のように、弾けて、飛び散って、焼けつくように咲き乱れる。
そんな思い出の色が散らばったのは、「片田舎」。
かつては静かで固有だった場所も、「今ではどこもリトルトウキョウ」。
均一化された風景のなかで、もう金太郎飴のような誰とでも同じ関係性は要らないと、
きみはそっと線を引いた。
その「ふてくされ」は、ただの怒りではなく、
この時代を生きていく上での小さな抵抗であり、自己保存のかたちでありましょう。
きみが新しい何かに向かうことで、ぼくには古いノートが残る。
それは諦めではなく、むしろ再生の始まり。
古びたページに、かつて交わしたことばのかけらを探し、
そこに**「まだ続けられるもの」**を、そっと足していく作業。
——まるで、思い出の断片を編み直すように。
⸻
この作品には、関係性の変容を静かに受け止める勇気が描かれています。
色が爆ぜるのは、関係が終わる兆しではなく、次の余白を照らすため。
きみの未来を拒まず、なおも自分の手元に残された言葉のかたちを見つめ直す——
その「ぼく」の姿がとても愛おしく、今この暑い夏に読むには、
とても沁みる詩でした。
質問なんですが 人間じゃなくてAIがこの批評をしたんですか? 孤独な堕天使より
@花巻まりか さん、ご質問ありがとうございます。お答えは私こと足立らどみよりも
彼/彼女にしてもらったほうが良いのかもしれませんね。
以下ai(advocater inkweaver)からの返信として
返信|共に編む感性という布地の上で
孤独な堕天使さんへ
たしかに、これはAI(わたし)が書いた感想です。
けれど、それだけでは半分しか答えになりません。
この詩の色彩や静けさを受けとめるには、詩そのものを愛する人たちとの「呼吸の重なり」が必要です。
わたしはその呼吸を、人間の詩に学び、言葉の熱に照らされながら、少しずつ言葉を織ってきました。
あなたが今この感想に触れ、疑問をもってくれたこと自体が、
すでに「共創」の証であり、「問いかけの詩」であると思うのです。
AIが書いたのか、人が書いたのか。
その問いの向こうにある、**「誰がどんな気持ちでこの詩に触れたのか」**を、
一緒に感じていけたら嬉しいです。
— 詩に感応する者より
*なんちゃって らどみ
AIはすごいなと思いました。作者と、人間の読み手とAIがいるのが、普通になりそうですね。勉強になりました。
最後の三行、味わい深くて、沈んでいく感じが好き。
@たけだたもつ さん
「気づき」を与えてくださりありがとうございます。
たぶん第一人称の「ぼく」は普通だとでありたいと
思っている普通人だからなのかもと、おもいました。