自分
走ろう
走り続けたら死ぬぜ
休もう
休み続けたら死ぬわよ
どのみち死ぬんだ
だったら走ろう
走っては休み
休んでは走るではだめなのかい
え?
走らなくて、歩いて
時々走ってとか
え?
あなただあれ?
分かっているくせに
ぜんぶ、ぜんぶ
自分だ
走ろう
走り続けたら死ぬぜ
休もう
休み続けたら死ぬわよ
どのみち死ぬんだ
だったら走ろう
走っては休み
休んでは走るではだめなのかい
え?
走らなくて、歩いて
時々走ってとか
え?
あなただあれ?
分かっているくせに
ぜんぶ、ぜんぶ
自分だ
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コメント
はじめまして、、、
行こうな(157)なんて掛け声かけて振りかえったら
誰もいない令和7年にはしたくなかったと散文のにち常
の私たちなのかもしれないなんて、虚しさの残る今年も
あと三分の一になるわけですが明治維新以降の157年(77+80)
willbeingの質を高めてきているはずの階層に辿り着いたら、
福祉と同室の心の中の友人同士が醜い争いをしているのを
目の当たりにして、この階層は見なかったことにして次迄
走ろう、そこで休もうとしている。言語化するとそんな風。
私にとっては当たり前なことなのですが、ひとつの作品は
それぞれひとつしかなくて(それに異を唱える人と論じると
そういう人と論じ合いたいのだけど、けど、いつもだめだめ)
ー 読み方はいろいろあります なんて言うのはまだマシなほうで
ーどう読んでも自由なのです なんて他者に向かい威張る大人ら
ー読み方は自由だとテレビで有名な創作者が言ってます 君は誰?
表現の仕方はいろいろあるのは当たり前の前提なのに、100%保証書付きの
内心の自由を鑑賞側が他者に言い押しつけて、年齢関係なく、この子たち
なんも学んできていなくて、発言している悪しき自由を謳歌しているのだ!
と、とても微笑ましくなってしまいます。作者さんのコメント欄を借りて
嬉しい気持ちを伝えてしまいごめんなさいね。環境に陶冶され続けた
私たちの答えとして、もっと、他社とともに自由を謳歌していきたい
ですね。以上、ところどころ、誤字のあるコメントしてしまい御免なさい
いえいえ。謝らないでください!こちらも通ずる部分あってもらってうれしいです。それに、はじめましてでもないので(笑)数年前、何気なく間違ってどらみさんと呼びかけたことをなつかしく思います。らどみさん、ごめんなさい(笑)