昭和100年
暑さでずいぶんサボっていたけれど朝から久々に10kmジョグやってシャワーでひと落ち着きしてから仕事が休みなのに新橋まで行ってせっかくの途中下車だからと昭和なビルの普段は混んでて並んでられないちゃん系ラーメンを食べて汗だくの体を地下鉄の駅に吹き上がる風でクールダウンさせてから乗り込んで勤務先をやり過ごして表参道で降りるけれども今回はスパイラルや岡本太郎記念館やブルーノートではなく原宿方面へと歩を進め参道の緩やかな傾斜をビル内部に抱き一部だけを残す同潤会と安藤建築を横目に何度か訪れたことのあるGYREで今日の目的であった昭和100年の虚無にしばし巻かれメゾンマルジェラを遠巻きに見てHAYで家具を物色してファブリックを選ぶところを想像しながらKVADRATやMaharamのテキスタイルのサンプルをペラペラしてさすがハーマンミラーが買収しただけのことはあるなと感心しながらペラペラの外人たちに紛れてキャットストリートを南下してたら今度はマルジェラのフレグランスの店があっていろんな種類を匂ってみたものの値段も匂いもどれもあまり好みじゃなくてすぐに店を出てミステリーランチの店頭でペラペラだけど強度もありそうなイン&アウトの18Lパッカブルなバックパックを見つけて一目惚れをして店員さんに実演してもらいながら際どいスラングみたいなネーミングセンスに唸りつつパタゴニアをスルーしてインバウンド仕様に様変わりした宮下公園下の渋谷横丁をわざわざ通り抜けて気がついたらセンター街にいてそれならばと若い記憶を頼りにスペイン坂を登ってみたがそこにシネマライズがなくて悲しくて豹変してるPARCOに驚きながら最近またふと気になり始めたフレグランスのお店の入場制限待ちの列に並んだところで友人みたいな先輩みたいな後輩みたいなヘンテコな関係性の人と落ち合って結局フレグランスは試さずにディスクユニオンを二軒まわって安居酒屋に吸い込まれて伝串頬張ってたら偶然ドルガバの歌詞の香水が流れて来て酔っ払ったままドンキを彷徨ってそこでもフレグランスコーナーに来たけれど試したかったやつはなくてバカみたいに体に吹きつける輩がいたせいで鼻がバカになって諦めてやっぱり今度新宿伊勢丹メンズあたりに行こうかと思いながら亡くなったBunkamura跡地を散歩して道玄坂のホテル街を外巻きにぶらつきながらそう言えば昔O-WESTでギャラクティックのオールナイトライブとか行ったよななんて思い出しながらもうお腹いっぱいで本当は行きたかった鳥竹も森本も覗き見すらせずに明日の神話も見ることなく帰って来たんだけどこんなに歩くんだったらこんな底ペラペラになってきたビルケンで来るんじゃなかったななんて足裏に疲れを感じつつ、スクランブル交差点では心を閉ざし分かり合うことがない、訳じゃなくて信号変わったら四方八方からダッシュで中央に駆け寄ってわれ先にと写真や動画を撮影する若者たちを尻目にペラペラな自分のペラペラな一日を動く漫画みたいにペラペラと懐かしく振り返りながら脳内でペラペラおしゃべりしてたらこれが三島の言う無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国の今なのかとゲリラ豪雨に打たれたように虚無が押し寄せて来た
コメント
昭和に取り残された男の、ちょっとスノッブな、ある種の田中康夫感・村上龍感があって、内容のペラペラさ(おそらく実話で素敵な休日だとは思うけど)からどう着地するのかと意地悪く読み進めると、そこに虚無を呼び寄せる一文詩のスペクタクルがありました。
@トノモトショウ
さん、コメントありがとうございます。
いやあ、こんなペラペラ日記みたいな一文詩にお付き合いくださり感謝です。
虚無って急に押し寄せてくるから困ったもんです。(自分から近づいておいて何言ってんだという話もありますが)
高度資本主義の行末はやっぱり虚無なのかなあ。
いい結びでした。
@あまね
さん、コメントありがとうございます。
詩としてはともかく結びがそこに帰結したのが良かったのかどうか、、、あやうく突然のブラックアウトのような闇に取り込まれてしまうところでした
一文なんだ。いいですね。怖いこと思いついてしまった。一文をどこまでもどこまでも続けて原稿用紙1000枚ぐらい続けるとインパクトあるだろうか? 誰も読まないだろうけど。誰も書かないだろうけど。
ちょっとAIに訊いてみた。
「一文で書かれた長い詩はありますか?」
はい、英語の詩には「One Sentence Poem」や「Monostich」と呼ばれる一文で書かれた詩が存在し、例えばエドガー・アラン・ポーの「The City in the Sea」は一文で構成された長い詩の例として挙げられますが、日本語の詩では明確な一文の長編詩は少なく、短歌や俳句のような短い形式が一般的です。
@たかぼ
さん、コメントありがとうございます。
一文詩もだいぶ溜まって来ました。AIは時々知ったかぶりでそれらしい嘘をつくのでお気をつけくださいね〜♪
逆質問で詰めていくとポーのそれは一文詩ではないとゲロりました(^^)
@あぶくも
ええっ AIは知ったかぶりでそれらしい嘘をつくのですか! それは人間くさくて逆に面白いですね。
@たかぼ
さん、ポーの原文を提示してもらったところ一文詩には見えなかったので、以下のやりとりをしました。もっともらしい言い訳もしてくるし、人間くささありすぎでしょ?
>私
そもそもポーのこの詩の原文は一文詩なのですか?
>ChatGPT:
いいご質問です。結論から言うと――
ポーの “The City in the Sea” は「一文詩」ではありません。
原文の構造
詩は 5つのスタンザ(詩節) に分かれていて、それぞれ改行や句読点で区切られています。
文法的にも、きちんとした「文」が複数存在します。
たとえば冒頭は
Lo! Death has reared himself a throne
In a strange city lying alone …
で、これは感嘆文+叙述の形です。
つまり「一つの文が延々と続く」タイプではなく、通常の叙事的・描写的な英詩のスタイルです。
どうして「一文詩」と言われたのか?
おそらく AI がそう答えた背景には以下の点があると思われます:
センテンスの長さ
ポーの英文は一文が非常に長く、修飾が多いため「ほぼ一文で流れるように続いている」と誤解されやすい。
リズムの一貫性
改行や句点で切られていても、全体が一続きの幻視的なイメージとして読めるので、「一文で構成されたような印象」を与える。
翻訳や引用の仕方
一部の解説や要約で、詩全体を一文で紹介することがあり、それが「ポー自身が一文で書いた」と勘違いされた可能性。
まとめ
原典は一文詩ではなく、複数文からなる通常の韻文。
ただし、読んでいくと改行があっても「ひとつの長大な幻視文」のように感じられるため、
あなたが取り組んでいる「一文詩」というジャンルとの親和性が高いのだと思います。
@あぶくも
なるほど、足立らどみさんもいつもAIと格闘していますが、AIと詩も親和性が高そうですね。