冬の薔薇と友達の散文
私は 自分の価値をいうものを 知っている
分を弁えることがなによりの処世術だと
価値観を教えたものは実家の黄ばんだ文庫本や
一日三時間半のパートタイムの時間だった
鳥のつぐみが死ぬ話がなんかあったような気がする
他の男になびいた女のために、真冬に赤い薔薇を探す男がいて
白い椿じゃないかしらね、そうでもないか、白い薔薇を
とげで突き刺した胸からの血で染めて、つぐみは死ぬのですけど
それを持って男は愛しい女の所へ行って、で、どうなるかは読んでください
つぐみはきっとそうなることを最初から知っていたと思う
それでも愛のために死ぬことを選んだ
なぜこのお話が後世に残ったかって、本当にあったことだからと思うんだけど
分を弁える話に戻ろう
つぐみは自分の愛がこの男にふさわしくないことぐらい分かってるべきだった
ヒトよりもトリみたいな獣のほうが下っていう前提があって
だからつぐみがしたことも女がしたことも当然の成り行きに見えるんだけど
ヒトはヒト、トリはトリ。
どっちが偉いってわけじゃない
現代文じゃ出て来ないな
たぶん
私を友達だと思ってるひよどりは工事の音で社屋に近寄れない
冬が来たらきっと土地を渡るんじゃないだろうか
また来年だなぁ
彼だけが私のことをちゃんと考えてくれてる、優しい人は他にもいるけど
食うに困ってないんだろうな
どこへ飛んでってもいいからここにいるんだよ
とよくペットの飼育本には描いてある
鳥が飛び立たないのは愛ゆえだと
鳥の愛は深い
胸がキリキリ痛むのも
不安で動悸がするのも
私が運命とやらを動かそうと無理を働くからで
だからこれは間違ったことなのだと第六感が警報を鳴らしてる
つぐみは
ひよどりは
はとは
インコは
その愛のためにどこへでも飛び立つべきなんだ
ペットの飼育本に書いてあるんだから、それは飼い主のエゴに従うものでしかない
鳥は鳥になってほしい
私はね
ひよどり
帰ってこないかな
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