裏宿

夕刻、私の大切な床屋の店主が
営業を終えて鋏を研いでいる
今日は裏宿の常連が
髭を当てに来ただけだった
それでも夕陽の中
長年の日課として鋏を研ぐ

この夏最後の蝉が鳴き止み
ふと店主が鋏を落とす
他には何も存在していない店内に
乾いた音が響きわたる
すべてが私の耳の中の記憶
ずっと繰り返される記憶

店主が鋏を拾いながら何かを呟く
そしていつものように
何を呟いているのか
聞き取ることができない

投稿者

コメント

  1. 丁寧な描写に、情景が目に浮かびました。夕刻の陰に刻まれる世界観が美しいです。

  2. @汀尋(ていじん)
    汀尋(ていじん)さん、コメントありがとうございます。
    自分で書いていてアレなのですが、あれがこの夏最後の蝉の声だったんだな、なんて思うこと、無かったな、なんて振りかえってます。それほどに蝉の鳴き声って日常に根ざしているのかもしれません。

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