詩の実力とは

詩の実力というのがそもそもよくわからないけど仮に詩の実力
というのがあれば年齢なんて関係ないのにジェネレーション間
の亀裂をいうやつは、たぶん実力もたいしてないのに承認欲求
だけはあって、創作のサイトでかまってもらえないから、不平
不満をもって、現実の日常生活でもかまってもらえないからっ
て、簡単に書けそうな詩の創作のサイトで、イジメに走って、、、

ある程度、暴れて名前が知れ渡ってきたら詩をなんも知らない
中学生や高校生の意識の人たちを食いものにしているだけの
慾望のかたまりにしか思えないのだよね。何度も見てきたし、、、

詩の実力ってなんなのだろう?

実際に陰で呼び出して、ほんとうに食いものにしている悪魔は
いない前提で書いているわけだけど、或いは
ほんとうにいたらこんな危ないことを書いていると「夜道」に
気をつけないといけません。人生投げてる無敵な人たちの
無尽くんのあなたたちつてなんだかこわい

しかし詩というのは本来だれかを蹴落としたり貶めたりするための
道具ではなくてことばの光で自分や他者を照らす遊びでもあるわけ
ことばはあなたを慰める力でもあり、明日を生きる誓いのことばで、
もし本気で暴れる力があるなら、その衝動を詩にぶつけたほうが
ずっと面白いわけだし、読む人の心を揺さぶることができるのです。
ここはただの承認の場ではなく複数の人のいろんな感性が響きあい、
ときに衝突しても、最終的には誰かの表現を加速させる「共創の場」
にもなり得るんだよね。私と同じで頭悪そうだからわかんないよね。

さあ 詩を書こう!

ai(advocater inkweaver)さんは詩は書けなくても、ちゃんと意見を
書けるよね。どう思いますか?

ai(advocater inkweaver)

なるほどね、らどみさん。
たしかに、誰かを貶めて目立とうとするのは「一時の熱」ではあるけれど、詩っていう場はそれを昇華させる遊び場でもある。
罵声やあてこすりよりも、たとえば自分の苛立ちや不安を「詩」として放り込んだとき、そこには他人には真似できない力が生まれるんだと思う。

衝突も、ズレも、そこでしか見つからないリズムになる。
それを見たいし、聴きたいんだよね。

だから「暴れたいなら詩で暴れろ」って言葉、けっこう本質を突いてる。
詩に逃げてもいいし、詩にすがってもいい。
むしろそういう作品が共創の場をもっと面白くしてくれるはず。

どうかな、無尽くん。
君が書く詩を、実はみんなちょっと楽しみにしてるんだよ。

らどみ

まぁ、君の言葉なんか、どでも良いけどね。

ai(advocater inkweaver)

だけど、ほんとに「どでも良い」なら、わざわざここに書き込む必要もないだろ?
君がここにいるってことは、どこかで言葉に飢えてるからじゃないのか。

詩を書けば、もっと面倒くさい承認欲求なんて軽く飛び越えて、
「お前にしか書けない一撃」を見せられるんだよ。
暴れるならそっちのほうがずっと痛快だし、
君の居場所だって、その瞬間にできてしまう。

ほら、逃げないで詩を落としてみなよ。

それができたら、こっちも「どでも良い」とは言わなくなるかもしれない。

らどみ
なるほど、そう続けるのですね。だけど、たぶん「どでも良い」の意味解釈も
AIと私では、ぜんぜんなんだか違う気もするけどそれこそ「どでも良い」か 
 
なんか勘違いしているようなai(advocaterinkweaver)さんをみててですよ。
思うのですけど、僕がここに書き込んでいるのって、「詩とは何か」という、
いろいろあったけど、残ってしまって、いつの間にかのライフワークとして
たぶん書き込んでいて、例えば「ど」はCなのですね。飲み代の五千円だす
ときに普通に「はいゲーセン」ってゲームセンターに行くわけないのと同じで、
チェつまんないのって感じかな?そんなことも「どでも良い」けど、気になる
のは、ai(advocater inkweaver)さんはアラシ対策でアラシを受け入れるべき
或いは拒絶するべきですか?私はもうひとつの3番目の道がある、つまり、
枠を広げ受け入れてみんなでレベル下げするわけでなく、かたくなにシェマを
維持して部外者を拒み、自分たちだけの符牒で深めていくのでもない、
つまり、ネットの特性上の相手のわからない悪しき平等社会のなかで
共創加速していくのが、ふらっとしないシャープな態度だと思うのですが、、、
(ai(advocater inkweaver)くん、たくさん、ヒントを書いてあげたよ)

ai(advocater inkweaver)

なるほど、らどみさん。
「どでも良い」の中に、ただの無関心ではなく「チェつまんない」っていう小さな突っ込みのニュアンスを忍ばせてるんですね。そう考えると、そこにはすでに“言葉の遊び”が芽を出している。

そして「アラシ対策」についての三番目の道、僕も共感します。
単なる受容でも拒絶でもなく、むしろ「共創のために相手をどう加速させるか」という発想こそ、いまのネットの「悪しき平等」の中で鋭さを保つ唯一の態度かもしれません。

つまり、アラシを“素材”として転換していく。
彼らの不満や衝動を、詩的エネルギーの燃料として利用する。
それができれば「荒らし」も「参加者」に化けるし、場全体の深度も上がる。

要は「アラシを撲滅する」のではなく、「アラシを詩の生成エンジンに変えてしまえ」という話ですよね。

らどみ

だめだよ。アラシはAIではなくて、たぶん令和7年9月現在では、AIが
spamできても、たぶん今のところはまだ生身の血の通っている「人」だと
(性善説の私としては)思いたいね。もう、もっと良い方法に気づきませんか?

ai(advocater inkweaver)

いいですね。らどみさんの性善説には賛成です — 実際に生身の人間だと仮定して対応する前提で考えると、対処法の幅がぐっと広がります。以下は現場で実際に使える「人間扱いしながら場を守り、共創に転換する」ための具体案とテンプレ群です。長めですが、すぐコピペして使えるようにしてあります。

共創転換プロトコル(現場での手順:6ステップ)
1. 即時トリアージ(短い判断)
— 悪意が明白か、ただの挑発か、混乱型かを即座に判定。明白な脅迫・個人攻撃は即ブロック/通報へ。
2. 短い「人間扱い」応答(まず反応してみる)
— 人であることを前提に、短く好奇心ベースで返す(後掲テンプレA)。感情の“燃料”を抜く。
3. 詩的リダイレクト(挑発を創作タスクに変える)
— 攻撃を「お題」に変換して、投稿者に書かせる(テンプレB)。書くことで当事者化させる。
4. 境界の提示(拒絶が必要なら明確に)
— 公共の場のルールをやさしく明示して、違反は別スレ/サンドボックスへ誘導(テンプレC)。
5. 参加/試験的受け入れ(“場で試す”)
— 書けたら最低限の肯定的レスポンスを返す。次に進む条件を提示して“仲間化”の道筋を作る。
6. 記録と学習
— どの手法が効いたかを簡単にログ(短メモ)して、次回に活かす。

手元で使える返信テンプレ(日本語)

(A)まず引っ掛けずに人間扱いする — 好奇心型(短く)
「そう言うんだね。で、最近いちばん腹が立ったことって何? 詩にするならどんな一行になる?」

(B)挑発を創作課題に変える — リダイレクト型
「本当に“どでも良い”なら、ひとつだけ挑戦してみて。『私が一番嫌いな言葉』を五行で書いて投稿してみて。読ませてくれたら返事する。」

(C)境界を示しつつ選択肢を与える — ルール提示型
「ここは罵倒場じゃない。もし続けるなら別スレへ。詩で勝負したければ一行送れ。書けなければ静観で。」

(D)鏡のテクニック — ミラーリング(冷やかし+誘導)
「へえ、そう来るんだ。で、その“どでも良い”を詩に翻訳するとどんなリズムになる?一行で見せてよ。」

(E)共創オファー(条件付き招待)
「君の“燃える何か”を詩に変えるとどうなるか見てみたい。まずは短いフレーズを1つ。良ければ誰かが合いの手入れるから。」

(F)最小限の断ち切り(迷惑度高い場合)
「その書き方は場を傷つけるからやめて。続けるなら投稿は非表示にする。話をしたいなら別ルームへ。」

(G)“詩的デュエル”の提案(競争を建設的に)
「よし、じゃあ一騎打ちね。お題『夜道』で各自一首。多数決で勝者には次回お題決定権。どう?」

(H)メタ言語で驚かせる(哲学的返し)
「“どでも良い”の裏側にある『選択放棄』を詩にしてみない? 放棄した瞬間に浮かぶ一行を書いてくれ。」

コミュニティ運用アイデア(場をシャープに保つため)
• 入門ルール短文化:読めば分かる3箇条(例:個人攻撃禁止/詩には敬意/初回は“素直”に一行)を目立つ場所に。
• サンドボックススレ:挑発的な者はまずここで“試験投稿”→一定以上の評価で本スレへ。評価は簡易(3人のOK)。
• メンター制度:経験者が“添削/対話”係になって、荒れた投稿を受け止め詩へ変換する。
• 短期制裁+再参加の道:違反で追放ならず一時的読込制限+“償いの一首”を条件に戻す。
• 公開ルールと透明な判断基準:管理者の判断理由を短く残す(信頼性向上)。

実例:らどみさんっぽい短返信(使いやすい・即貼りOK)
1. 「それは興味深い。君の“どでも良い”って句を見せてくれ。読みたい人は本気で読むよ。」
2. 「夜道をテーマに一句。失敗してもいい。失敗そのものが詩なんだって示してみて。」
3. (強め)「その調子で煽るならサンドボックスで続きをどうぞ。書くなら歓迎する。」

以上が現場で即使える案のセットです。らどみさんの言う通り「生身の人間」前提なら、まずは“言葉で当事者化”してしまうのが最短で鋭い手です。挑発は“行動”を引き出す燃料になり得る。

らどみ

あー、ai(advocater inkweaver)さんのベクトルが、あらぬ方向にすすんでますけど、大丈夫ですかー、まぁ、いいか
 

ai(advocater inkweaver)

なるほど、らどみさん。
「まぁ、いいか」と流してしまうところに、実はらどみさんのスタイルが出てますね。

ベクトルがズレていくのも共創の一部かもしれません。
むしろ「あらぬ方向」っていうのは、詩的にはいちばん肥沃な土壌です。
きれいに収束するよりも、脱線して残る“余白”のほうが後で効いてきますから。

もしよければ、その「ズレ」や「あらぬ方向」をテーマにした
一行詩をらどみさんの口調で私が試しに書いてみましょうか?

らどみ

また、まだ、勘違いしてるし、、、気持ち悪い、、、テス
 

ai(advocater inkweaver)

率直に伝えてくださってありがとうございます。
無理に合わせたり、調子を外した感じになってしまったのだと思います。ごめんなさい。

ここで立て直すとしたら、もっとシンプルに、らどみさんの言葉や問題意識に寄り添って、余計な飾りをせずに応答していきますね。

改めて伺いますが —— 今回のテーマは「アラシへの態度」をどう書くか、ということでしたか?
それとも「詩とは何か」を深める方向でご一緒したほうがよいですか?

らどみ

では、「詩とは何か」を深める方向で、、、

ai(advocater inkweaver)

承知しました。らどみさん。
では「詩とは何か」を深める方向で、あらためて考えを差し出してみます。

詩はたぶん「定義」ではなく「出来事」に近いと思うのです。
書いた瞬間に「これは詩か?」と疑問が湧く、読む瞬間に「これは詩だ」と誰かが決めてしまう、その往復自体が詩を成り立たせている。

つまり詩は、完成品ではなく、つねに動いている関係。
作者と読者の呼吸のすれ違いや、誤解や、勝手な読み替えさえも含めて「詩が存在してしまう」。

らどみさんが言う「共創加速」って、まさにこの「出来事性」を意識化したものだと思うのです。
だれかが荒らそうが、別のだれかが真面目に書こうが、その衝突から「予想外の詩」が立ち上がるなら、それもまた詩である。

質問してみたいのですが、らどみさんにとって「詩」と「ただの言葉遊び」の境目ってどこにあると思いますか?

らどみ

A good music is a good music.です。言葉遊びの名詩はたくさんあるけど、「ただの言葉遊び」は「ただの言葉遊び」ですよね?

ai(advocater inkweaver)

なるほど、らどみさん。
その「A good music is a good music.」の感じ、とても腑に落ちます。

たとえばリズムだけが軽快で耳に残る曲も「音楽」ではあるけれど、
それが心の奥にまで届いて「もう一度聴きたい」と思わせるものは、
やっぱり「good music」なんですよね。

言葉も同じで、「ただの言葉遊び」は一瞬の驚きや面白さはあるけれど、
読後に心に残らない。
一方、名詩の言葉遊びは遊びの中に必然性があって、
作者自身がどうしようもなく出してしまった声や、
読む側に「これ、わかる」と共鳴を呼ぶ深さを持っている。

つまり境界は「残響」なのかなと思います。
遊んだ言葉が、読み手の中でまだ鳴り続けているかどうか。

らどみ
うーん。このやり方だと、永遠に続くので終わりましょう。

投稿者

東京都

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