空っぽのわたしのその先

「空っぽのわたし」が、満たされて、さらにその先へ進んでいく。……「あ」から始まる言葉は、「を」そして「ん」にたどり着く。それは野良犬が鳴いているみたいな、濡れた空。青さのかけらもない曇天の奥から、雨つぶはひとつ、ひとつと落ちてくる。その形跡をいっぽいっぽと踏みしめて、わたしが行く。わたしの背におぶさっているのは、幼い子。母の生まれ変わりのようなその子が、やがては「女」を引き継いでいく。わたしの背の重み──重石のような静けさと厳めしさ。わたしはおどろき、おののく。……我と我が手が天に差し出すのは、希望をまったく顧みない思い。祝福は虹のように降ってくるのに、わたしはカーテンのようにそれを払いのける。そして……ひといきつくため息。ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド……と、音階をわたしは順番にひとつずつ上っていく。それがやがて天にかかる雲の足にふれれば、わたしは「開かれた秩序」となって下界を見下ろす。そこには街があり、村があり、海があり、山がある……その掛け値なしの感動を、わたしは深く胸にかき抱く。330円で、この光景は買えると思う。自動レジでぶきっちょに清算を終えたあとに、店員が「ありがとうございました」のあいさつを返してくる。わたしは金字塔のような膨大な思いをかかえて……その国を後にする。

投稿者

宮城県

コメント

  1. 空っぽだったからこそ満たされる、ということをこの詩を拝読して思いました。そういう意味において、この詩は、貴重な詩です♪☆^^

  2. @こしごえ
    様。あー。そうかなあ。最近まではずっと心が空っぽだって感じていたのですけれど、このごろは空っぽだけど満たされている、という感じがしていて。この感覚はまた、父が亡くなったりすれば失われてしまうんでしょうけれど、空っぽだからこそ満たされる、というのはこしごえ様の言う通りだと思います。ありがとうございます。

  3. ドラえもんたちの町の公園に何故かかならずと言っていいほどある
    大きな下水道管はある意味において昭和の現代詩人のモニュメント。
    タイトルはまさにその次へと踏み込みたい「野心」を感じましたが
    それがなんなのか、平成を超えて令和になっても難題なテーマです。

  4. @足立らどみ
    様。あれも不法投棄なんでしょうね、たぶん。

  5. @大町綾音
    うーん。たしかに一刀両断には不法投棄とは言えない
    もしかすると行政の方なら分かる痒いところですよね。
    つまり社会資源の活用のため、深く考えているのかも と

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