野村さん

野村さん

薄汚れた布たち
それはひとつひとつ生きている
野村さんに命を吹き込まれ
記憶の断片として
凛とした顔
寂れた顔
柔和な顔
激しい飛沫のような顔
みんな顔を持っている

野村さんの作品を
すぐに理解するのは難しい
野村さんの作品に囲まれて
滲み出る空気を吸い込んで
発酵し始めた頃に
やっと少し見えてくる

表面的な見た目だけで
カラフルなのは羅漢らしくないなどと
軽率なことを言った自分の
未熟さに恥ずかしくなる
何の反論もせず
ただただ受け入れていた野村さん

静かに語る口調と
侍のような容姿とが一致せず
人柄を誤解していたように思う
きっと目指しているものが
向こう側に見えているのだろう
いつもただそこにあるものに

投稿者

広島県

コメント

  1. 父は自転車をみがく時にその布を、ウエスと呼んだ、旋盤工であった父は、仕事でそれを、ウエスと呼んだ、しかしわたしは、それをウエスとは呼ばない、〈ウ〉の音には、まったく別のものを、感覚するのである、むしろそれは、〈うみ〉へと向かわせる。

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