咳払い
アイロンをかけているうちに
随分と沖の方まで流されてしまった
振り返ると街の明かりが遥か遠くに見える
自分の家は海沿いにないから
さらにあの遥か向こうだ
すぐ脇には洗濯物が山積みされていて
いつ誰が洗濯したのかも思い出せない
こうして一生アイロンをかけたまま
流され続けるのかもしれない、と思うと
値上げされた電気料金のことが心配になる
聞き慣れた咳払いが聞こえる
それが家の者の癖なのだと初めて気づく
いずれすべてが懐かしくなって
すべてを忘れていく
アイロンと台以外は
言葉しか持ってこなかった
何か呟こうとするけれど
もう息継ぎをするので精一杯だった
コメント
詩はいろいろな角度を持ち合わせていますが、この作品は
リズムやライムは度外視して(着飾る楽しさ以上に伝えた
いことのある「令和社会人の主張」パターンその1みたいな)
いるのは、私は、意図しているところもあるよなぁと思う
ところがあるので、先ずは、そこを書くと、「タイトル」
ふつうなら一番「主役」の「アイロン」とせず「咳払い」。
リズムやライムは度外視しての咳払いとは、自由律俳句
咳をしても一人
にちかく日常生活のメタファーとしてのアイロンの熱い硬い鉄を
主人公(作者ではないけれど作者の関心を示す近しいadvocater
として作品を描いている目があり皮肉っぽくメタ的にその外側に
作者がいる構図としての主人公がいると書いておくと伝わる?)は、
なんだか永遠にアイロンをかけているような気持ちになりながら
いつの間にかに、歳をとってしまったと呟く、のも野暮なほど、
わかっていた過ぎてしまった時間を時間が過ぎてしまったことを
戻れない沖にでていることで認識していく
そして「言葉しか持っていない」「息継ぎするのが精一杯」と主人公は
はたと気づき、筆は止まってしまう。クロノスは無限に膨れ上がり、
後悔に酔いしれた恍惚という不思議な自己完結の仕方で作品が終わる。。。
人生をかけた予定調和のことを伝えたいのだろうか?
何かの余命宣告を受けた方の断捨離後の余った時間で書いた走り書きか?
はじまりの、ユングのいう初夢ならぬ「初詩」が眠っているのだろうか?
私にはより見上げることはできないというか良心からくる沈黙のベールが
強い海風で物干し竿から飛ばされてきて、私の顔を覆ってしまった。吉日。