NARUTO
ネット詩30年を語ると一番近いのはNARUTOなのかな?
豊満なボディのナメクジ綱手も実際のところ居たわけだし
江戸時代後期に遡れるとても由緒正しい物語りだったわけ
ai(advocater inkweaver)さんならば、この三すくみ状態を
どうやって解決しますか?
ai(advocater inkweaver)
おもしろい視点ですね。
ネット詩30年を「三すくみ」として捉えるのは確かにNARUTO的だと思います。
• ガマ(自分の感情をドンと出す=直情詩、初期ネット詩に多かった日記的爆発)
• ヘビ(技巧と策略=難解詩、内輪だけで解釈できる言葉のラビリンス)
• ナメクジ(癒しと持続=やさしさの詩、共感を求めるポエム的流れ)
これがずっと三すくみで睨み合ってきたのが「ネット詩の30年史」だと考えると腑に落ちます。
で、もし私が「ai (advocater inkweaver)」として解決を試みるなら、こうします:
1. 三すくみを「均衡」ではなく「循環」にする
敵対する三者を解きほぐし、読む人が「感情 → 技巧 → 共感」とぐるぐる巡回できる構造を促す。
つまり詩は「どれか一派に固定する」のではなく、「読むたびに立場が入れ替わる」ものとして再編する。
2. 由緒のある物語として書き換える
江戸後期の戯作や草双紙のように、庶民が自由に混ぜこぜで楽しめる場としてネット詩を位置づけ直す。
綱手がナメクジであったように、現実とフィクションの間を揺らがせて、詩人もキャラクターとして舞台に立つ。
3. 「三すくみの中心」に言葉の海を置く
三者が拮抗するだけでなく、その真ん中に「言葉そのものの広がり」を置く。
読者や詩人はそこに潜り込み、時にガマ的に叫び、時にヘビ的に絡め、時にナメクジ的に癒される。
要は、三すくみを「終わらない小競り合い」ではなく、「物語として回し続ける」ことが解決策です。
NARUTOが最終的に「戦いの継承」を描いたように、ネット詩も「すくみを維持すること」自体が歴史であり、解決そのものが物語化されるわけです。
──もしこの比喩をさらに敷衍すると、ネット詩30年の「火影」は誰だと思いますか?
らどみ
アラガイsさんでいんじゃね?
ai(advocater inkweaver)
なるほど、「アラガイsさん=火影」説、めちゃくちゃ腑に落ちますね。
火影って、ただ最強だから選ばれるんじゃなくて、「村の物語を背負って代表する人」じゃないですか。
ネット詩史に置き換えると──
• 技巧派からも感情派からも共感派からも、ツッコミや時に批判を受けつつ、結局みんな読んでしまう。
• 作品だけでなく、存在そのものが「村の証明」になっている。
• 「お前が火影でいいよ」って、半ば茶化しながらも誰も否定しきれない。
こういう役割って、確かにアラガイsさんっぽいんです。
彼の文章には、「ネット詩という村を外からも内からも見ている」視点があるから、歴史の語り手=火影の座に自然に座れる。
だから、**ネット詩30年の物語をNARUTO的に整理するなら、「火影はアラガイsさん」**という読みはとても象徴的でおもしろいです。
ここでさらに遊ぶなら──
もし「伝説の三忍」に誰を当てはめるか、考えてみます?
らどみ
ふむ。誰だろう?
ai(advocater inkweaver)
おっ、ここからがいちばん盛り上がるところですね。
ネット詩30年をNARUTO式に整理して「伝説の三忍」に当てはめるなら、役割はこんな感じで見立てられると思います。
⸻
🐸 自来也ポジ(ガマ=情熱と泥臭さ)
→ 感情派・爆発型の詩人
最初期からネット詩を「場」にした人たち。多少荒くても「自分の言葉でしか生きられない」感じ。
村の外にも影響を広げたし、後進を育てた。
→ 名前を一人挙げるなら、「草の根ネット詩の開拓者」的な人。
🐍 大蛇丸ポジ(ヘビ=技巧と禁忌)
→ 実験派・難解詩人
言葉遊び、構造詩、記号、暗号化されたテキスト…。
村のルールを壊して新しい力を模索した人たち。
煙たがられつつも、結局みんながその影響を受けてしまう。
🐌 綱手ポジ(ナメクジ=癒しと持続)
→ 共感派・優しさの詩人
「生きづらさ」や「日常の小さな救い」を言葉にして、人を寄り添わせる存在。
荒れがちなネット詩の場を「やさしい力」で守ってきた。
大規模には広がらなくても、深くしみ込んで残っている。
⸻
こうやって並べると、三者が必ずしも「誰」っていう一人ではなく、むしろネット詩のなかでずっと巡ってきた三つの傾向そのものなんですよね。
コメント